SUUMO介護 https://kaigo.suumo.jp https://kaigo.suumo.jp/wp-content/themes/kaigo/wp-content/themes/kaigo//assets/img/common/logo.png SUUMO介護 https://kaigo.suumo.jp 有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅の検索ならSUUMO介護。各高齢者向け住宅の特徴や介護サービス、費用の情報が満載です。ご利用者の声もお届けしているので初めての有料老人ホーム探しでもあなたに合う高齢者向け住宅を見つけることができます。 ja (C) RECRUIT Mon, 29 May 2017 09:25:33 +0000 Mon, 29 May 2017 09:25:33 +0000 SUUMO System 「いしいさん家」代表の石井英寿さん。「ありのまま、その人らしく」暮らせる場所を目指す https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2017/03/28/7592/ Tue, 28 Mar 2017 03:47:24 +0000 インタビュー publish 取材・文/籠島康弘 撮影/菊田香太郎  民家を使って運営している「いしいさん家」。介護老人保健施設で8年間勤務した石井英寿(ひでかず)さんが開いた宅老所・デイサービス施設です。2006年に千葉市花見川区柏井の民家を借りて始まった「いしいさん家」ですが、現在は千葉県習志野市の、京成電鉄実籾(みもみ)駅が最寄駅となる「みもみのいしいさん家」もあり、今回はこの「みもみのいしいさん家」を訪れました。  施設内では洗濯物を一生懸命畳んでいる人、リクライニングチェアでうとうとしている人、仲間と楽しそうに語らっている人……。「ほかの施設では問題行動とされ受け入れを拒否された人もいますよ」と石井さんはいいます。さらに驚いたのは、子どもたちが声を上げながら走り回っていること。実は「みもみのいしいさん家」は託児所も兼ねているのです。 「いしいさん家」が大切にしていることは6つあります。 (1)ありのまま、その人らしく。 (2)「今」を楽しむ。 (3)その人の生活習慣を大切に。 (4)色々な人が居てていい。 (5)どんな深い認知症状の人でも受け入れる。 (6)家族と一緒に成長していく。 これらの基本姿勢は、どんな考えから生まれ、どのように実践されているのか。石井さんに伺いました。 最後くらい、好きなように生きさせてあげたい――「いしいさん家」を始めたきっかけは、老人介護施設で働いている際に違和感を感じたからですか?  最初にお断りしておきたいのですが、私は老人介護施設を批判するつもりはまったくありません。むしろ8年間も働かせてもらい、成長させてもらった場所なので感謝しているくらいです。その辺を誤解しないで聞いてください。  人生の最後に、施設に入るという選択ではなく、もっと自然に暮らすという選択肢もあっていいんじゃないかというのが「いしいさん家」を開いた動機です。残り少ない人生を、何時になったからレクリエーションを楽しみましょう、何時からは歓談しましょう、健康的なメニューを食べましょう……。そういうルールに縛られながら最後を迎えるのが嫌な人もいるのではないかと思ったのです。しかも「嫌だ!」と暴れると、問題がある老人だと思われてしまう。

レクリエーションの時間など決められたスケジュールがあまりない「いしいさん家」。各自が思い思いに過ごしている

 残り少ない人生を、自由に過ごさせてあげられないか。そう思って当時同じ施設で働いていた妻に相談したら賛同してもらえたので、「いしいさん家」を始めることにしました。 ――基本姿勢でいうと「ありのまま、その人らしく」「その人の生活習慣を大切に」というあたりですね。  例えば糖尿病を患っている人は、普通の施設ではおやつの時間になると、ほかの人よりひと回り小さなお菓子が渡されます。でもウチでは、もちろん家族の了解を得た上ですが、他の人と同じものを渡します。多少血糖値は上がりますが、デイサービスの昼の1回だけ、好きなモノを食べてもいいじゃないかと思うんです。  結局は自然の摂理で誰もが亡くなるんです。だとしたら好きなモノをずっと我慢したまま死んでいくのは、いいことなんだろうかと。自然の生活を営んで死んでいく。80年90年と仕事や子育てに一生懸命生きてきたのですから、最後くらい好きに生きさせてあげたいなと思うんです。

「いしいさん家」のスタッフTシャツには「ありのまま、その人らしく」と刻まれている

   子どもと一緒に暮らすことで老人が笑顔になる――「みもみのいしいさん家」では託児所も開いていますが、その理由は?  そもそも、子育て中のスタッフが働きやすい宅老所をつくりたいと思ったからです。スタッフが子どもも連れてくれば、仕事をしながら子どもの面倒も見られるじゃないかと。待機児童の問題にも少しは貢献できるという思いもありましたし、その後、最初に入ったスタッフの子どもたちは大きくなったので、だったら外部からも預かろうかということになり、現在に至ります。

寝ている老人のそばで、子どもたちが楽しそうに遊ぶ

 子どもと一緒に生活することで、老人たちの顔が明るくなります。レクリエーションの時間なんてつくらなくても、子どもたちと遊べるから毎日楽しそうです。 ――確かに、子どもたちも積極的に老人に話しかけていますね。  子どもたちにとっても、ここで「老い」や「死」を身近に感じることは、その後の豊かな人生をつくる上で貴重な経験になると考えるようになりました。何しろ今はゲームで主人公が死んでもリセットすれば、最初からやり直せる時代ですからね。昔は、私もそうでしたけれど、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らすことが当たり前でしたから、「老い」や「死」を自然の摂理として受け入れられました。  ここで過ごしている子どもたちは、耳の遠くなった人にはちゃんと耳のそばで、大きな声を出して話しかけます。昨日まで遊んでくれていた人が、ある日突然亡くなったら、その人の肌に触って亡くなったことを感じとります。私たちが「お星様になったんだよ」と言うと「バイバイ」って手を振るんです。  学校の机の上で、先生の話や教科書で思いやりだとかを学ぶより、ずっと心に染み入っているんじゃないかと思います。働くスタッフのためにやっていること――スタッフはどのように募っていらっしゃいますか。  介護の仕事というと新聞やテレビは夜勤がキツいとか給料が安いとか、マイナスのイメージしか流したがりません。そこで開所と同時にブログを始めました。介護だって、やりようによってはもっといろんなことがやれるんだよ、楽しい仕事だよというのを発信していきたいと考えたからです。実際ブログを見てここのスタッフになった人もいます。

「みもみのいしいさん家」は、元「いしいさん家」の利用者の自宅。利用者の家族が石井さんに宅老所として活用してほしいと願った結果、最終的に利用者は夫婦2人とも“自宅”で最後を迎えることができた

 また、ここではスタッフが要介護の親を連れてこられるようにしています。先の託児所が子連れなら、こちらは親連れです。収入を得ながら、自分だけでなく、ほかのスタッフとともに親を見ることができます。介護離職問題の一助になればと思って始めました。  そもそも親と一対一で介護していると、つい落ち込みがちになります。「介護うつ」なんて言葉があるくらいですから。でもここでほかの、いろんな老人を見ていると「私の親だけじゃないんだな」と思えるようになります。どんな人間にも「老い」がくること、「老い」というものはどんなものなのかということを受け入れられるようになるんです。 「老い」を受け入れることから始めるといい――最後に読者に対してアドバイスをお願いします。  「老い」は誰もが通る道です。親の「老い」を受け入れられないと、自分が老いたときも受け入れられず、イライラしがちです。「こんなはずじゃない」と。  よく子どもの運動会で親も参加する競技があるじゃないですか。その際に「昔はもっと速く走れたのに」とか「この程度で筋肉痛にならなかった」とか。それと同じように、老いるほど思うようにできないことが増えていきます。そこでイライラすると「問題行動」と周りから見られて、施設の入所を断られたりする。 ――本人がイライラしているところに、子どもや若い人に注意されると、なおさらイライラしますからね。  自分が子どものころの、元気な親とは違うんですよ。もっと親の「老い」と向き合って、受け入れられると、親への接し方も、自分が老いたときの行動も変わるんだと思います。  最近思うのは、介護って子育てと似ているということです。私には子どもが4人いますが、抱っこをせがまれると「面倒くさい」と思ったりすることもあります。しかし、よくよく考えてみれば子どもを抱っこする期間って、長い人生で見ればほんのわずかです。同じように介護が必要になる時間も、長い人生の中でごく短い期間。だったらたまに好きなモノを食べさせてあげてもいいじゃないかと。  だいたい、老いていくほど子どもに似てきます。おむつが必要になって、嚥下(えんげ、飲み込むこと)も難しくなってきます。寝ている時間も多くなりますし。

石井さんの母親(手前)と、その母親(101歳)。寝る時間が多くなってきたという

 私はここでいろんな人の「老い」を見てきて、そういうことをたくさん教えてもらいました。たくさんの「死」を見てきて、「今日を大切に生きよう」と思えるようになりました。みなさんにも親の「老い」や「死」を受け入れることで、いろんなことを感じていただければと思います。取材協力石井英寿(いしいひでかず) 介護福祉士、ケアマネージャー。有限会社オールフォアワン代表。大学卒業後、介護老人保健施設に8年勤務中、認知症専門棟で多くの認知症の方々と関わる。最後はフロアのリーダーを務める。2005年に退職、有限会社オールフォアワンを設立して指定通所介護保険事業者としての許可を取得。2006年に「宅老所・デイサービス/いしいさん家」を開所。その後「いしいさん家の介護相談室」「みもみのいしいさん家」を開所する。 http://www.ishiisanchi.com/ 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>
岩佐まりさんに聞く、人気ブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」に込めた思い https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2017/03/23/7560/ Thu, 23 Mar 2017 05:11:05 +0000 インタビュー publish 取材・文/籠島康弘 画像提供/岩佐まり フリーアナウンサーとして活躍している岩佐さんは、若年性アルツハイマー型認知症を患う母と東京に二人で暮らしています。彼女が大阪の実家で暮らしていた母の異変に気づきはじめたのは、2003年のこと。当時母親はまだ55歳、岩佐さんは20歳。日本で若年性アルツハイマーという病気すらほとんど知られていなかったころでした。  病状は進行し、2008年にはアルツハイマーと診断されました。その翌年に介護の疲れがピークに達した父親に代わって、一時的に彼女が母を東京で介護することに。1年後にもう一度父親が介護することになりましたが、2013年に再び彼女が母親を引き取り、現在まで介護をしています。  現在要介護4の母親と二人で暮らしている岩佐さんですが、そんな彼女の日常をつづっているブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」には、とてもあっけらかんとした文面が並びます。それは普段私たちが介護という言葉から受ける印象とは、ずいぶんと異なる生活が浮かんできます。彼女がどんな思いでブログをつづっているのか、伺いました。 大の仲良しである母を自分で介護したかった――なぜ大阪のお母さんを東京に呼んで介護しようと思われたのですか。  昔から母とはとても仲が良かったんです。一緒に買い物へ行ったり食事にでかけたり、悩み事の相談もたくさんしましたね。上京してからもしょっちゅう大阪の母に電話をかけていました。なかなか仕事が思うようにいかず、よく相談したり、悩みを聞いてもらったりしていました。  だから、母が認知症だと分かったとき、私が介護したいと思ったんです。母が大好きなんです。ですが最初母は娘に負担をかけることを嫌がり、父が介護をすることになりました。それに対して父も頑張って世話をしていたので無理矢理引き離すようなことは止めようと思っていましたが、正直父がギブアップするのを今か今かと待っていました(笑)。介護生活のなかで、二人はよく旅行へでかけている。大阪への帰省はもちろん、テーマパークや箱根(写真)などへも旅行している(画像提供/岩佐まり)――お母さんが認知症と診断されたとき、素直に受け入れられましたか。  もちろん最初は、母が58歳(アルツハイマー型軽度認知障害だと診断された時)の若さで認知症になるなんてとても信じられませんでした。何とかして直らないか、進行を遅らせることはできないかと、認知症に効果があると聞けばいろいろ試してみたりと試行錯誤しました。どこかで母の病気は治る、治ってほしいと思っていたのでしょう。今振り返ると、そのころが一番辛かったですね。  ですが、5〜6年ももがいている間に、病気に対する知識も深まったこともあるのでしょうが、次第に「母は病気なのだ。じゃあ私はどうする?」と考え方が変わっていきました。もちろん治ることを今でも諦めていませんが、認知症の母と一緒に生きていくんだという腹がくくれたというか。 ――結局、お父さんが介護に疲れたのを見計らって、お母さんを東京に引き取りましたが、不安はなかったのですか。  ちょうどそのころになるとフリーアナウンサーとして仕事が安定してきましたし、父が一度ギブアップをしたので「じゃあ私が母の面倒を見る!」と東京へ母を呼びました。それが2009年です。その後、父がもう一度面倒を見たいということで一時的に母と離れてくらしましたが、2013年に再び私が母を引き取り、今に至るまで面倒を見ています。「母よ・・・」というタイトルとともにアップされている写真。時々母親がトイレに娘の服などいろいろなものを置いていくのだが、この日はぬいぐるみが放置されていた。それに対し彼女は怒ったり嘆くのではなく「クマがトイレに行きたがってたか? クマが気持ち悪いってトイレに行ったか?」等とユーモラスに表現している(画像提供/岩佐まり)いい笑顔をする母もまた、認知症の一面です――ブログを始めたのは2009年ですよね。どうして始められたのですか。  最初に母を東京に呼んだときにブログを始めました。2人の生活の記録を書き留めておきたかったんです。それに介護をしているとどうしても不満が募りますから、そうしたうっぷんを晴らせるんじゃないかとも思いました。当時私はまだ25歳くらい。同世代に介護をしている友達なんていませんから、グチを聞いてくれる人や「それ分かる〜」なんて言ってくれる人はいませんでした。  自分だけが分かる記録でよかったので、最初は匿名で(「陽子」名義で)ブログを書いていましたし、母の写真はモザイクをかけるなどして隠していました。 ――でも今は本名で、また写真もモザイクなしです。  ブログを始めてから4年ほどして、母の写真にモザイクをかけている自分に疑問を持ち始めたんです。なんでこんなにいい笑顔をしている母の顔を隠すんだろう。なんでイキイキとしている母の顔を私は「恥ずかしい」と思っているんだろう、と。  ありのままを見せよう。そう思ってモザイクを止め、私の名前も本名にしました。初めて公開した母の写真は、チョコレートを手にいい笑顔をしている母です。認知症というと、マスコミはよく暗いイメージで伝えたがりますが、こういう笑顔もまた認知症の一面なんです。もちろん介護をしていれば辛いこともありますが、時に娘である私に愛情を表現してくれたり、うれしいことがあれば喜んでくれることなど、普段あまり知られていない認知症も伝えていきたいと思っています。  もともと私はあっけらかんとした性格なので、悲しかったこともうれしかったことも「ありのまま」出すと決めてラクになった気がします。だからでしょうが、母の笑顔を公開して以降はブログの更新回数が増えました。

初めて母の顔を公開したときの写真。以前はこの笑顔に目のイラストなどを載せて顔を隠していた(画像提供/岩佐まり)

   ブログの読者からの声援やアドバイスがうれしい――そうした気持ちの変化は、ブログの読者から反応があることに後押しされたのでしょうか。  きっとそうです。一人で悩みを抱え込んでいたら母の写真を他人に見せるなんて、できなかったと思います。たくさんの反響をいただけたからこそ、その人たちにちゃんと本当のことを伝えなきゃいけないと思いました。だから公開できたのだと思います。反響がなければ、今も公開していないかもしれません。 ――どんな読者の方がいらっしゃるのですか。  実際に介護されている方、あるいはかつて介護をしたことのある方、また介護の仕事に従事している方が多いですね。悩み事があるとブログに書き込むのですが、そうするとさまざまなアドバイスがいただけて、とても助かっています。 ――拝見していると気持ち面だけでなく、実用的なアドバイスも多いですね。  そうなんです。例えばリハビリパンツを使うことにした、と書いたら「中に尿とりパッドを敷くといいですよ」とか、ポータブルトイレの掃除が面倒だと書いたら「ペット用のシートを敷いておくと、それを取り替えるだけで済みますよ」とか、みなさんが経験してこられた知識をたくさん教えてくださるんです。このコメント欄だけまとめても、立派な介護の本ができるほど内容は充実しています。時には手抜きをしてでも、明るく介護していきたい――岩佐さんから読者にアドバイスするとすれば何かありますか。  介護しなきゃと頑張りすぎると、疲れてしまいます。時には手を抜いていいと思います。例えば一度使った雑巾は、洗えばまた使えますが、私はたまに目をつむってゴミ箱へ捨てます(笑)。不経済だとは思いつつも「これはご褒美だ」と。あるいは、いつもは節約のために自炊していますが、週に1回程度は外食して、母と一緒にお酒も飲みます。たまの息抜きです。ご褒美として、手を抜くことを覚えてほしいです。

レストランで食事だけでなく、カラオケへ行ったり、岩佐さんの友人と3人で遊びに行くなど、二人で楽しもうとしている様子がブログからうかがえる(画像提供/岩佐まり)

――介護をしているときに気をつけていることはありますか。  笑顔を欠かさないように、母と一緒に楽しいことをしようと心がけています。介護される側だって、きっと明るく介護してもらいたいはずです。そうすることで、母にとって私が安心できる、信頼できる存在になれると思います。母の異変に気づいた日から、もう14年ほどたちますが、その間ずっと母と接してきたからこそ得られた、私なりの介護での接し方です。 取材協力岩佐まり 若年性アルツハイマーの母と生きる http://ameblo.jp/youko-haha/ 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>
フリーアナウンサーの町亞聖さん。「介護を担う人が笑顔で取り組めるよう伝えていきたい」 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2017/02/08/7408/ Wed, 08 Feb 2017 07:02:23 +0000 インタビュー publish 取材・文/森 聖加 撮影/一井りょう  フリーアナウンサーの町亞聖さんが母の介護に直面したのは、大学受験を控えた18歳のとき。くも膜下出血で倒れ、重い後遺症を患った母を10年あまりにわたって在宅介護した経験を語ってもらいました。 学生生活まっただ中の18歳で〝突然″介護がはじまった 母は40歳のときにくも膜下出血を発症し、のちに車椅子生活になりました。そのとき私は18歳。高校3年生でした。前日の夜まで元気だった母が朝起きて急に頭が痛いと言いだし、横になっていても具合がよくならないので入院をしたら、「頭の血管が切れている」と。心の準備もなにもなく、まさに「突然」、母が死んでしまうかもしれない状況に置かれたのです。くも膜下出血という病名も、当時の私にとっては初めて聞くもので、母に起きていることを受け止めるだけで手一杯。その後の生活は、まったく想像がつきませんでした。  私にはきょうだいが2人いて、弟が15歳、妹が12歳でした。私だけがなんとか介護に対応できる年齢だったのです。これはラッキーだったと今では思っています。私の年がもう少し下だったら、家族で母を介護ができたかどうか分かりません。 そして、私より不安だったのは弟と妹だと思いますし、2人を放っておくことはできません。父からも「今日からお前が2人の母親だから」と言われ、家のことをこなしながら学校へ行き、母の介護をすることになりました。  命は助かりましたが、倒れた直後の母はガリガリに痩せて痛々しい状態でした。意識のない小康状態が2カ月ほど続き、食事が一切とれず点滴のみ。頭も丸坊主で、右半身が麻痺して動かない。「あー」としか言葉が発せない母を目の当たりにし、非常にショックを受けました。もう、元のように母が元気な状態で家に戻る可能性はない、今までと同じような生活を送ることができないんだ、と。  今から25年以上も前ですから介護保険はないですし、介護していることを語れる時代ではありませんでした。選択肢が非常に限られており、家族で介護するのが当然の状況だったのです。アナウンサーの仕事と介護を両立できたのはフレックスタイム制のおかげ――介護をしながら勉強を続け、大学受験を突破されました。  その時置かれた状況では、私が進学を取りやめ、就職というよりはパートで働きながら母の看病をしなければならないというのが親戚をはじめ、まわりの人の考えでした。私もなかば諦めていたのですが、父が「お姉ちゃんには大学にいってほしい」と進学を後押ししてくれ、1年浪人をして大学に入りました。  現在は、脳梗塞(こうそく)のような重い病気でも命の危機を脱したら、3カ月ほどで退院となりますが、当時は長く入院ができた時代。母がひとり病院でリハビリに励むあいだに、私たち家族も母に頼らずに生活を送れるようにしなければなりません。弟と妹にも自分でできることはしてもらって、母を受け入れる体制をつくったのです。この1年間が在宅介護をはじめるまでの猶予期間となりました。  母が自宅に戻ってきてからが本当の介護生活、リハビリのスタートでした。というのも病院はバリアフリーですから、母もひとりで自由に施設内を動き回れましたが、自宅は段差だらけ。しかも、そのころは車椅子では回転もできないような狭い家に住んでいたので、母が転倒してけがをしないよう気を配らなくてはなりません。日中、父は仕事、私たちきょうだいは学校なので、家族がいない間も母ひとりで事故なく過ごせるように、トイレに行くことから改めて訓練してもらいました。 ――大学卒業後、テレビ局のアナウンサーになられます。テレビでの活躍を同世代として観ていた身としては、アナウンサーをしながら介護をされていたと知り、とても驚きました。さらにはご家族も養って。2つ以上の役割をどのように成り立たせていたのでしょうか?  実はアナウンサーは今から20年前の当時からフレックスタイムで働くことのできる仕事だったのです。柔軟な働き方ができたこと、それが仕事と介護を両立できた答えだと思っています。アナウンサーは担当番組を中心に1日約8時間働きます。朝の番組が担当の場合は、夜中に出社しなければなりませんが午後には家に帰れましたし、夜の番組なら逆算して8時間前に出勤すればいいので、午前中は家のことができます。勤務は自己管理です。  加えてフレックスタイム制のおかげで、同じ職場で働く仲間への心苦しさを感じずに済んだのも介護と仕事を両立するうえで大きかったと思います。「自分だけが早く帰っている。まわりに迷惑をかけている」、そんな気持ちをもたずに済みましたから。同僚に対する罪悪感は、会社に勤めながら介護をする人の大きな離職理由になっていますが、私は仕事を終えたらすぐに帰宅することができました。確かに生活は不規則で睡眠時間を削ることにはなりましたが、空いた時間を有効に使い母の介護や家事をこなしました。  介護と仕事の両立には、その人が働きやすい形で就労できるように環境を整えることが大切です。また、家族の間でも役割分担が欠かせません。でも、家族みんなが平等に介護の負担を分かち合うことは現実には難しい。だれかが中心になるからうまく回るのです。よく、たまにしか顔を出さない人がお金も負担せず、口だけ出してかき回し、気持ちもかき乱して帰るという話を聞きますが、それは役割分担が決まっていないために起こることでしょう。  わが家の場合は、妹には「学生時代は部活に励んでいいし、好きなように過ごしていい。その代わり、私が働くようになったら手伝ってね」と言ってありました。私が働くようになったら否応なしに妹には介護の戦力になってもらわなければならない。だから私が大学生の間は家のことを全部やるので、その時がきたら頼りにするから助けてね、と。  でも、私はアナウンサーになっても介護ができちゃったんです(笑)。もちろん、ひとりではできませんので約束通り妹には手伝ってもらいました。今から思うと妹の介護は私より早く始まったんですよね。よく頑張って私を支えてくれました。実際、アナウンサーの仕事は大変でした。それでも、介護と仕事の両立ができたのはフレックスタイムの働き方と家族のサポートがあったからでした。 本当にがんばったのは母自身。母はいつも笑顔でした――会社の同僚にもお母さまの介護をしていることを伝えていたのですか?  私は母に障害があることを隠すつもりはありませんでした。障害者が抱える生き難さなどの問題を「多くの人に伝えたい」、そして障害があっても住み慣れた社会で当たり前の暮らしが送れる社会にしたいという思いがあり、アナウンサーを職業に選んだのですから。アナウンス部にはほかに何人か自宅で介護をしている先輩がいて、「なんでも相談してね」という雰囲気もありました。ただ、介護をしていた人全員がオープンにしていたわけではなかったと思います。  今も家族に障害があることや認知症であることを周囲の人に伝えられず、介護をひとりで抱え込んでしまっている人が残念ながらいます。25年前はその意識がもっと強く「町さんの家は特別」と上司に言われたことがありました。つまり母のような障害者は特別な存在と考える人がいたのです。だけど私は、まったくそんな気持ちがなかったんです。車椅子を母は使っていましたが“母は母”であることに変わりはなく「介護、楽しいですよー」とニコニコしながら話すから、一部の人には「介護ってそんなもんじゃない」と思われていたのかもしれません。だから、「人の意識を変えるために介護の現実を伝えていかなきゃいけないな」とも思いました。 ―――「介護はもっとシリアスに取り組むべき」という、一般的な常識による圧力のようなものですか?  私たち家族は真剣に取り組んでいましたし、介護というよりは発想の転換をしながら母に必要なサポートをしているだけなので、自然と笑顔になっていたのですが……。つらかったのはこの「意識の違い」にぶつかったときでした。  古くからの介護に対する価値観を引きずっている方はたくさんいます。今は物理的な負担は介護サービスを利用すれば軽くすることはできますが、介護の精神的な負担は意識を変えなければ無くせません。全国でいろいろな人のお話を聴く機会ありますが、施設を選択したことを悔やむ人がいます。介護制度を利用することは当たり前のことで、第三者の支援を受けながら家族にできることをしていく。介護や医療に関する講演をするときには、「意識を変えること」が大切です、とお伝えしています。 ――明るく、笑顔でいることができたから、介護と仕事をがんばることができた、と?  はい。母は大らかで、いつも前向きでした。「しょうがないのよ」と片言で話すのですが、それは諦めではなく「なんとかなるわよ」という意味でした。母に「しょうがないわよ」と言われると「そっか、しょうがないか」と思えてしまう。私は仕事やプライベートの悩みをいつも母に相談していて、そのたび、必ず「しょうがないね」と受け止めてくれました。母の大らかさに私たちは救われていたんです。  母には右半身麻痺や言語障害がありましたが、私たちきょうだいにとって母親であることは変わりません。母とは今までどおりに接しようと弟、妹とは話していました。母はかわいらしいところもあり、私と親と子の立場が逆転している感じもあって、「子育て」をしているような感じも当時はありましたね。  家族介護で一番つらいのは、元気なときを知っているので、どうしても病気になった後と比べてしまい、変わっていくことが受け入れられないことだと思います。例えば、認知症の場合は「かくしゃくとしていた父が……」とか「上品だった母が……」とみなさん口にします。自分の顔だけでなく、名前さえ分からなくなっていく。これは一般の人だけじゃなくて、介護に携わるプロの方でも直面すると衝撃だと言います。  家族だからこそ“できないこと”や“できなくなっていくこと”を数えてしまうのです。母の場合も、くも膜下出血と脳梗塞を併発して、右手が動かない、話せない、ひとりで外出できない、とできないことを数えればキリがありません。母は何もできないと決めつけずに、お茶碗を洗ったり、洗濯物を畳んだり、掃除機をかけたり、左手でできることには何でも挑戦してもらいました。本人から可能性を奪ってしまうのは周囲の諦めです。ぜひ、限界をつくらずに時間はかかっても見守ってください。母も最初から前向きだったわけではなく、時間をかけてできることが増えていくなかで、自信を取り戻したのだと思います。私たちもその発見が楽しくて。  結局、母が一番、強かったんだと思います。介護がはじまった当初、母は動きやすく、汚れても洗濯がしやすいトレーナーなどを着ていて、何に対しても意欲が低かったのですが、途中から「おしゃれしたい」「お化粧もしたい」と積極的になって。ああ、良くなっているなとうれしかったですね。当時も今も、「介護、よく頑張ったね」と多くの方に言っていただきますが、本当に頑張ったのは母自身。自分の境遇に対して、嘆くそぶりを私たち家族にみじんも見せませんでした。写真を見返しても、母はいつも笑顔でいてくれました。そんな母の笑顔が見たくて、みんなで工夫をして介護に取り組んでいたともいえます。  うちは父がどうしようもない人で、酔ってちゃぶ台をひっくり返すみたいなことも多々ありました。母が倒れた後も簡単には変わらず……きょうだいの間では「父みたいになっちゃだめ」が合言葉。反面教師がひとりいて、菩薩様のように笑顔の母がいて。子どもたちはそうしたなかで自立ができた。病気になると確かに失うものも多いけれど、それよりも与えてもらったことも多かった。母が障害を負っていなければ、今も気づいていないことがたくさんあったと思います。ときには自分を甘やかして。介護をしている自分をほめよう――介護での工夫をもう少し教えていただけますか?  「もし自分だったらどうする?」。これも母が教えてくれたことです。母が言葉で説明できない分、もし自分だったらどうしてほしいかを考えて、母が望んでいるだろうことを考えました。想像力を働かせると介護は楽しくなると思います。  母が身をもって教えてくれたことのひとつが“命には限りがある”ということです。老いや死は特別なものではなく、全ての人に平等に訪れるものです。人生は長さではなく深さだと……。身体が不自由な上に、母は最後には末期がんも患いました。その母と向き合う中で、何気なく交わす「おはよう」や「いってらっしゃい」という言葉も、これが母と交わす最後の会話かなと思うと、ひとつひとつが、そして一分一秒がかけがえのない時間となりました。「おやすみなさい」も同じで、朝、もしかすると母が起きないかもしれない。一言の重みがまったく変わりました。当たり前のことが当たり前ではなく大切なことだったんだと気づかされました。 ――最後に読者へ、メッセージをお願いします。  これだけ介護が大きな問題になっているにもかかわらず、多くの方が「突然」に介護に直面するのが現実です。「介護のはじめの一歩」が私も18歳で、やはり突然でした。ですが、母のように40歳で倒れることもあり、介護する側や介護をされる側になることは決して突然なことではなく、ひとごとではないと心構えをしておく必要があります。「もし自分だったら」と想像力を働かせることができれば、世の中が少しずつ変わり、優しい社会になるのではないかと思っています。いつか自分も通る道です。今困っている人を支援することは、やがて自分が介護に直面したときのためでもあるのです。介護を経験した当事者のひとりとしてこれからも声を上げることで助けになりたいと考えています。  介護には終わりがないと言われますが、だからこそ介護を長く続ける秘訣は完璧にやろうとせずに、自分を甘やかすこと。私も結構手を抜いていましたし、「自分は頑張っている」と自分で自分をほめていました。  「こんなに一生懸命なのに報われない」「感謝の言葉がなく、文句ばかり言われる」と思ってしまいがちですが、介護は写し鏡のようなものです。介護する側の余裕のなさは、必ず相手に伝わってしまいます。たまにはカラオケやゴルフに行ったり、友達と居酒屋で飲んだっていい。私の息抜きは大好きなビールを飲むことでした。中心になって介護をする人が心の余裕をもてるように周囲の人が支援することも大切なことです。  介護保険が施行されたあとでも、介護を担う家族が余暇を楽しむことを否定する意見が聴こえてきます。「そんな時間があるなら自分で介護するべき」という声が……。介護をしている人自身の心の中にもそんな想いがあるのではないでしょうか。介護をひとりで完璧にこなすことなんて難しい。介護では、全力でかかわっている人ほど追い込まれてしまうものです。  介護保険スタートから17年もたつのに、だれにも相談できずに家族だけで抱え、共倒れしてしまうケースが後を絶ちません。とても残念です。第三者のサポートを受けることや声を上げることは恥ずかしいことではありません。介護をされる側もする側も、介護と共にある自分の人生を大切にできる社会にするために、介護を語れる環境をつくっていきたいと思います。  サービスや制度がどんなに充実しても使う人の意識が変わらなければ介護の負担を軽くすることはできません。繰り返しになりますが介護は全ての人が直面する問題です。昔も今も大きな課題は「無関心の壁」を無くしていくこと。これからも伝え手として“気づき”の種をまいていきたいと思います。 「発想の転換をしながら介護に取り組んでいたから、自然と笑顔になっていた」という言葉にあるように、町亞聖さんはインタビュー中も終始にこやかで、すてきな笑顔が印象的でした。 「前向きに意識を変えて」「自分を甘やかして、自分でほめる」。介護を担う側が無理をすることなく、笑顔で介護を続けていくための極意かもしれません。 プロフィール町亞聖(まち・あせい)さん 立教大学文学部卒業。1995年、日本テレビにアナウンサーとして入社。その後、報道記者、番組アシスタントプロデューサーなどを経て、2011年6月にフリーへ転身。 自身の介護の経験から医療や介護を生涯のテーマに取材や講演活動を続けている。現在はTOKYO MXテレビ「週末めとろポリシャン♪」、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」などに出演中 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 介護前整理アドバイザー高田経さん。「健康寿命の70代を目安にモノや情報の整理を」 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/12/21/7229/ Wed, 21 Dec 2016 07:32:29 +0000 インタビュー publish 取材・文/小宮山悦子 撮影/一井りょう いつかは訪れる、親の介護。いざというときに、「家はこのままで大丈夫だろうか?」「荷物はどうしよう?」と不安を感じている人も多いと思います。そこで、「介護前整理」をすすめる高田経さんに、その手順やメリットを伺いました。 まずは親御さんのことを知り、情報を整理する――高田さんが提唱する「介護前整理」とはどんなものですか? 私は前職が看護師で、高齢者の方が急に入院になると緊急連絡先が分からないことが多いことを体験として知っていました。その後、整理収納を学んだときに、高齢者向け住宅に入ろうとしている70代、80代の人でも、「いつか片づけよう」と思いながらやっていない人がとても多いことに気づきました。そして、その“いつか”をちゃんと数値化したほうがいいと思ったのです。 “いつか”の目安は、健康寿命だと私は考えています。日本人は男女ともに長寿ですが、日常生活が制限されない健康寿命は今、男性が71.19歳、女性が74.21歳です。その年齢を過ぎると何かしら介護を必要とする人が増えますから、健康なうちにやることが重要です。 介護前整理では、健康寿命を迎える70代の親御さんを持つ方に、モノや情報の整理をお伝えしています。このタイミングで住まいの環境を整えておき、健康寿命を延ばすことができれば子どもにもうれしいことですし、親御さん自身の生活もより豊かなものになると思います。 ――どういう手順で進めるのでしょう? 最初にしたいのは、情報の整理です。先ほど緊急連絡先が分からないという話をしましたが、お子さんに連絡がついたとしても、薬は何を飲んでいるか、今までにどんな病気をしたかなど、何も分からないケースが多いのです。まずは親御さんのことを知ることから始めましょう。 皆さん自分の親のことはよく知っているつもりでしょうが、年齢を重ねた親御さんは昔とは違っています。やる気はあっても体力が落ちてなかなか行動を起こせなかったり、モノをどこに置いたか思い出せず一日中探し物をしていたり……判断力や記憶力が低下し、腰痛や関節痛もあるでしょう。その辺を少し理解すると接し方が変わると思います。 知っておきたいことは、何歳のときに入院したか、大きな病気やケガをしたのはいつか、どこに通院してどんなお薬をもらっているかなど。モノは業者さんに頼んで処分することもできますが、親御さんについて知ることは子どもにしかできません。 年に数回しか実家に帰れない人も多いと思いますが、離れて暮らしていてもできることはあります。高齢者の身体の変化について知識をつける、実家の近くの地域包括支援センターを前もって調べておく、自治体がどんなサービスを行っているか知っておく、など。いざ介護となったときに、一人で抱え込まずSOSを出せる状態にしておくことが大事です。

平均寿命と健康寿命の差は、約10年もある
(グラフ作成:特定非営利活動法人 暮らしデザイン研究所 平均寿命:厚生労働省「平成25年簡易生命表」より算出 健康寿命:厚生労働省「平成25年簡易生命表」「平成25年人口動態統計」「平成25年国民生活基礎調査」、総務省「平成25年推計人口」より算出)

片づけの目的は、安心で安全な環境づくり――情報の整理ができたら、次にやるべきことは? 情報の整理を済ませておけば、離れて暮らしていても安心感が生まれます。親御さんも、子どもが自分のことを気にしてくれているとホッとできるでしょう。お互いの心が近づいたら、次は住まいの片づけです。 家を片づけるときは、どんなところに困っているのか、親御さんの気持ちを聞いてあげることが大事です。とかく「汚いから片づけて」とか言ってしまいがちですが、暮らしの主役は親御さんだということを忘れないようにしましょう。重要な連絡先などがまとまっていれば、急ぐことはありません。親御さんが片づけたくないときには待つこともできます。 ――普通の片づけとはどう違うのですか? 介護前整理は、安心、安全で介護が受けやすい状態にすることが目的です。親御さんにホテルのような部屋に住んでもらいたいと思いますか? そうではなく、イキイキと今まで培ってきた暮らしを楽しんでもらいたい、皆さんそういう気持ちではないでしょうか。 安心、安全とは、家の中で転ばないように、いつも通る動線がきちんと保たれている、床にモノが置いてないなどですね。また、初めて訪問介護を受けるときに家が片づいていないからと拒む人がけっこう多いですから、介護サービスをスムーズに導入できるように、完璧でなくてもいいので片づけていきましょう。 高齢者が床やテーブルにモノを置くのは、腰が曲がったり、視野が狭くなって、上に視線が届きにくいためです。しかし一度転倒し、骨折を経験すると寝たきりになりやすく、転ぶのが怖くて家に引きこもりがちになってしまいます。そういう高齢者の特徴や転倒の先に起こることを知っていれば、「ここに置くと危ないから動かさない?」と声をかけやすいと思います。 短い時間で片づけたい人は、生活動線を安全に保つだけでも違います。何年も開けてない納戸などには手を付けず、親御さんが長時間過ごす居間や台所を中心に片づけましょう。実家に帰っていきなり「片づけよう!」では親御さんが戸惑いますから、前もってよく擦り合わせをしておくことをおすすめします。 ―― 高齢者の方はどんなところに困っているのでしょう? モノが捨てられなくて困っている方が多いですね。もったいないのもあるし、ゴミの分別が細かくなっていることも一因です。老眼で小さい字を読むのが難しく、どう分別したらいいか分からない。ぜひその部分をサポートして差し上げてください。 親御さんがモノの要、不要をなかなか決められない場合は、「よく使っているのはどれ?」と質問を変えてみましょう。それでも判断に困るものは、半年など期間を決めてしばらく取っておき、時間がたって確認したときに使っていなかったり忘れているようなら、不要と判断しやすくなります。期限が切れた市販薬や食品などは不要なものと考えて子どもが処分していいと思います。 なかには捨てすぎてしまう方もいます。高齢者向け住宅に入る際に、大事な家族の思い出のものを捨ててしまったと後悔している方がいました。せっぱ詰まると心に余裕がなくなりますから、早めに親御さんと話し合う機会をもつことです。親御さんと一緒に片づけをすれば、「これは初めてのデートのときにお父さんにもらったのよ」とか思い出を知ることができ、大切なものを捨ててしまうこともないでしょう。 本人の片づけ方を尊重し、変化はなるべく少なく――高齢者に向いた収納方法や収納用品はありますか? 収納の仕方は人それぞれで、親子でも同じやり方が合っているとは限りません。例えば細かく収納するタイプの人が自分のやり方で家を片づけてしまうと、タイプの違う親御さんはそれを保つことができません。親御さんのタイプを知り、それに合った片づけ方をすることが大事だと思います。 将来的に訪問介護等のサービスを受ける可能性がありますから、誰が見ても分かりやすい収納にしておけば、ヘルパーさんにも使いやすく効率よく介護が受けられます。収納用品は簡単に取り出せて簡単に仕舞えるものを選び、ラベリングや定位置管理を取り入れるのもおすすめです。 ただ、新しい収納用品を買ったほうがいいわけではありません。昔から使っているなじみのあるものを身の回りに置くことで、認知症になっても環境の変化に戸惑うことがなく、今までの暮らしが保ちやすくなります。子どもから見たら便利に思える商品でも、親御さんは使いこなせない場合があります。あえて買い換えない、買い換える場合も以前使っていたものになるべく近い商品を選ぶとよいでしょう。 ―――そのほかに今からやっておきたいことは? いざ高齢者向け住宅に入ったらモノだけが残った、とならないようにしたいものです。家一軒はとても片づけられないと思ったら、業者さんに頼んで見積もりを取り、費用負担などを話し合っておくといいでしょう。 親御さんが亡くなったときに、通帳を探すのが大変だったという話をよく聞きます。とくに一人暮らしの女性は、不安感から通帳や印鑑をあちこちに仕舞い込んでしまう傾向があります。いざというときに慌てて通帳探しをすることがないように、置き場所を早めに共有しておきましょう。 健康寿命の年齢ではまだまだ先のことと思うでしょうが、“いつか”を、いつやるかが大事です。 介護前整理のセミナー参加者には親御さん世代も少なくないそうです。「でも、実際に介護前整理をしてメリットが多いのは子どものほうです。40代、50代の子ども世代にもっと知っていただきたいですね」と高田さん。近い将来の介護を具体的に考える、ひとつのきっかけになりそうです。<取材協力>高田 経(たかだ きょう) 介護前整理® eclat365代表。看護師、高齢者整理収納サポーター養成講座基礎研修認定講師(NPO法人暮らしデザイン研究所)、ライフオーガナイザー1級、福祉住環境コーディネーター2級、終活ライフプランナーなど多数の資格を保有。片づけ相談会や終活セミナーの講師や執筆活動を精力的に行い、2014年にはシニア世代の美と健康をテーマにイベントも主催した。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>
94歳の内海桂子さん、ツイッターのフォロワーは約15万人。「人の役に立つことが何よりも励み」 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/12/14/7210/ Wed, 14 Dec 2016 07:22:10 +0000 インタビュー publish 取材・文/山本久美子 撮影/刑部友康 大正11年生まれの漫才師・内海桂子さん現役最高齢の芸人記録を更新している内海桂子師匠。94歳にして「ツイッター」を駆使されていますが、それが面白いと14万9154人(2016年12月13日現在)のフォロワーがいるほどです。元気の源や若さの秘訣について、おうかがいしました。 声がかかるかぎりは、現役の芸人として舞台に立ち続けたい――大島紬だと思いますが、桂子師匠の今日のお着物はステキですね。 内海桂子:80歳過ぎのときに、もっと年を取ったら着ようと思って用意していたものなの。舞台ではもっと派手な着物を着るのよ。こうした地味な着物はまだ先かな、と思っていたけど、せっかくだからそろそろ着ようかって、今日着物と帯をおろしたの。 ――それは、ありがとうございます。80歳過ぎの時点でも、まだ「もっと年を取ったら」とお考えだったのですね。「ロケット団」の漫才で四字熟語のネタがあって、「永遠に生き続けることを表す四字熟語は?」「答えは、不老不死」「残念、内海桂子です」というネタがありますが、その若さはどのようにして維持されるのでしょうか? 内海桂子:私は別に若いとは思っていないけど、年だからってそうした姿を見せたくないでしょ。しゃれでステッキを持つことはあるけど、杖を突いて歩いたりはしないで、スタスタ歩くようにしているの。そうすると「あら、桂子さん元気ね。いつも元気もらっているわよ」って声をかけてくれるから「勝手に取らないでよ」って返すんだけど、元気に見えるからそう言ってくれるんですよ。お客さんはお金を出して舞台を見にくるんだから、それなりに若々しく見えていないと。 ――現役の芸人として舞台に立ち続けることに、こだわりがあるのでしょうか? 内海桂子:なろうと思って芸人になったわけじゃないのよ。10歳で神田のそば屋に子守り奉公に出たけど2年で戻ってきてから、ご近所にいた坂東三代親師匠に踊りと三味線を習い始めたの。母は本所深川育ちだから三味線を弾いたので、私も上手く弾けたのね。そのうち、三味線が弾けるからって寄席なんかの楽屋に連れていかれるようになって、いろいろな芸人さんを見ていたわけ。そうしたら、漫才師の奥さんが妊婦で舞台に出られないから代わりに出てくれって言われて出てみたら、役に立ったみたいで声がかかるようになってね。そのとき16歳で、それからずっと舞台に出ることになっちゃって。 内海桂子・好江のコンビで漫才を48年やっていたから、相方の好江が亡くなったときにやめようと思ったんだけど、一人になってもあちこちから声がかかってね。けっきょく、一人でもできるネタを探して、今も舞台に立っているわけ。日記代わりのツイッターが今では日々の励みに――実は私も桂子師匠のツイッターのフォロワーの一人ですが、2010年8月からツイッターを始められたのは、どうしてでしょうか? 内海桂子:もともと日記を書いていたの。広告の裏に定規でマス目を引いて、そこにね。それが面倒だなって思っていたら、(ご主人でマネージャーも務める、成田常也さんを指して)この人が140字以内で書き込む日記みたいなものがあるっていうので、二人で相談して始めたの。 ――1日1回のペースでツイートされていますが、その内容を拝見していると、アメリカ大統領選からマイナンバーのこと、ラグビーのことまでとにかく話題が豊富なことに驚くのですが…

ツイッターより。テーマが幅広いことに驚くばかり

ツイッターより。最近では最も反響の多かったツイート。2度アップロードしてしまったので、合計するとリツイート数は2949、いいねは6003にも及ぶ

内海桂子:ラグビーのルールなんて分からなかったけど、見ていると本質がだんだん分かってきて、やっている人の根性も見えてくるでしょ。それが面白くてね、漫才も根性が大切なのよ。そうやってテレビを見たりして話題を探しているんだけど、長年の経験でとらえ方が普通の人とは違うから、なんかしら話題が見つかってね。ツイッターを見ているのは若い人が多いから、「ツイッター見ていますよ」って声をかけてくれるとうれしいし、年寄りだって「私もやってみよう」という人が出てくるでしょ。ただ年を取っていくだけじゃなくて、役に立っているというのが励みになるわね。24歳年下のご主人より長く生きる心づもり? インタビュー中も隣にいて、細かいフォローをするご主人の成田常也さん――「笑組(えぐみ)」や「ナイツ」といった若い芸人さんに教えているというのも、元気の源なんでしょうか? 内海桂子:子どものころからずっと舞台を見てきたし、奉公に出たりキャバレーで働いたりしたこともあるから、どんな場所でもどんなお客さんでも対応できるけど、今の若い人はそうはいかないわよね。だから、若い人にいろんな話をしてあげるの。 最近では、古い漫才のネタ「銘鳥銘木」を教えてあげてるの。「銘鳥銘木、木に鳥留めた。何の木に留めた? 何鳥留めた?」って、即興で考えて返すんだけど、今の人は松に鶴、竹に雀、梅に鶯(ウグイス)が当たり前なんてことを知らないから、勝手に考えてもらうと、ナイツの土屋が上手いのよ。「何の木に留めた?」「箒(ホウキ)に留めた」「何鳥留めた?」「塵取り(チリトリ)留めた」とかね。 それで、ツイッターでも「東京スカイツリー(ツリー=木)に留めた」、「いつ行ってもコンドル(=鳥)」って書き込んだら、誰かに「疲れたらベンチにスワロー(座ろう・swallow=ツバメ)」って返されて、はいできましたってことに。面白いね。

ツイッターより。銘鳥銘木でシャレたもの

――24歳も年下のご主人がそばにいらっしゃるというのも、若さの秘訣なんでしょうか? 内海桂子:亭主は何人か変わっているけど、亭主を自分の思い通りにしようっていうのは無理。持っている感性が違うから、自分の感性を押し通せばいい。ただね、こんなわがままで言いたいこと言う人を、全く知らない人が面倒をみるってのは難しいと思うから、一緒にいる以上、最期は私が看取ってあげないとかわいそうだなと思って。どっちが先に逝くか分からないじゃない、きっと私のほうが長生きするわよ。 24歳下のご主人より長生きするつもりの内海桂子師匠。インタビューを終えて雑談をしているときでさえ、笑わせるネタを考えておられる様子がうかがえました。いくつになってもまだまだ先のことを考えたり、好奇心とサービス精神が旺盛な芸人魂を持ち続けたりするのが、94歳でなお現役でいられるパワーになっているようです。 プロフィール内海桂子さん 漫才師。大正11年生まれの94歳。昭和25年に結成した内海桂子・好江が人気を博す。78年間にわたり第一線で活躍する傍ら、社団法人漫才協会の会長(現在は名誉会長)を務めたり、今村昌平監督の日本映画学校(現・日本映画大学)で講師を務めるなど、後進の育成にも尽力。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など多数受賞。 ○内海桂子さんのツイッター https://twitter.com/utumikeiko 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>
「すべてをさらけ出す介護は楽しかった」。介護講談の田辺鶴瑛さん、義父の介護を語る https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/12/07/7186/ Wed, 07 Dec 2016 08:48:33 +0000 インタビュー publish 取材・文/小宮山悦子 撮影/一井りょう 女流講談師・田辺鶴瑛さんが、実体験をもとに創作した介護講談が話題を集めています。6年間にわたって介護した認知症の義父とのエピソードに爆笑したり、ほろりとなったり……。つらかった介護がいつしか楽しくなったという鶴瑛さんに、その経験を語ってもらいました。 認知症で寝たきりの義父を引き取り3度目の介護――そもそも、講談師になったきっかけを教えてください。 小さいころから何か表現する人になりたくて、芝居やら陶芸やらいろいろやりました。劇団をやめて結婚し、子育てをしているときに義母の介護が重なり、ストレスから娘にあたってしまったんです。これは自分のエネルギーを娘以外に向けないとダメになると思い、何かないかと探していたときに出会ったのが、師匠である田辺一鶴の講談教室でした。やってみるとものすごくストレス解消になる。これだ!と思って、弟子入りを決めました。 ――オリジナルの介護講談はいつから始めたのですか? 講談師は、二つ目に昇進すると自分で仕事を探さないといけません。営業先でたまたま北欧の介護のビデオを見る機会があり、「日本もこんなだったら、私も母と義母の介護を楽しくできたのに」と話すと、「あなたの介護の経験を講談にしてください」と依頼されたんです。 やってみると、「よくぞ介護の大変さを伝えてくれた」と言ってくれる人がいる一方で、「こんな暗い話は聞きたくない」という声もあり、最初は不評でした。悩んでいるときにある人が、介護される側やそこに携わる医師や看護師の話を入れたらとアドバイスしてくれ、評判のいい介護施設を片っ端から見学に行くうちに、だんだんと引き出しが増えていきました。 ――お義父さんの介護が始まったのはその後ですか? ちょうどそのころです。おじいちゃん(義父)とは元々関係がよくありませんでした。自慢話ばかりしている人で、家族はろくに返事もしませんでしたから寂しくなったんでしょう。高齢者のお見合いの会に入り、出会った女性と家を出て行きました。それが10年後に認知症になって、同居する女性から毎晩苦情の電話がかかってくるようになったんです。真面目な夫が何時間も謝っているのを見ていたたまれなくなりました。 当時、私は介護講談であちこちに呼ばれるようになっていて、仕事にやりがいを感じていました。私を自由にさせてくれる夫のおかげです。あのおじいちゃんがいなければ夫とも出会えなかったのだから、何かしてあげよう。介護だったら2度の経験があるからできるだろう。今度こそ感謝の介護ができるかもしれないと思ったんです。それで2005年1月、脳梗塞で倒れたおじいちゃんを家に連れて帰り、3度目の介護が始まりました。 自分をさらけ出したら介護がラクになりました――在宅で介護することにしたのですね? 根拠もなく1年ぐらいと思っていたので、在宅で看取りまでするつもりでした。準備のためにとりあえず検査入院をさせようとしたんですが……おじいちゃんは「ここはどこだ?」「やぶ医者じゃないか!」「助けてくれ!」と大声で繰り返し、病院に断られてしまいました。それでまず、向こう三軒両隣に「おじいちゃんが認知症になりました。在宅介護しますからよろしく」とあいさつに行きました。「嫁は泥棒だー!」「警察を呼べー!」とか叫びますが、私がいじめているわけではありませんと(笑)。 私はいい嫁と思われたくて、おじいちゃんと襖(ふすま)ひとつ隔てた隣の部屋に寝ることにしました。すると夜中に30分おきに、「助けてくれー!」「水を飲ませろー!」と大騒ぎして起こされるのです。ある夜、「なんでサッサと起きてこないんだ、このバカ!」と言われ、思わずカーッとなって持っていた手拭いで、認知症で寝たきりの義父を叩いてしまったんです。自分が本当に情けなくて……よく相談しているお坊さんに話すと、「誰だってあなたと同じ立場だったら手ぐらい上げるよ」と言われてすごくラクになりましたね。 それからは「バカ!」と言われたら手は出さずに、「バカに介護されているあんたは大バカだー!」と言い返すことしました。相手は弱者だから、介護するほうはいつも優しく親切にと言っても、それはムリです。一生懸命やってもどうにもならなくて腹が立ったら、「うるさい」「バカヤロー」「死んじまえ」ぐらい言っちゃっていいですよ。その代わり反省して「ごめんなさい、言い過ぎました」と謝ればいいんじゃないでしょうか。 ――自分をさらけ出すようになって変わりましたか? すごくラクになりました。最初はいい介護をしようと苦手な料理も頑張っていましたが、せっかくつくった食事がまずいだの、骨があるだのと言われると悔しくて……。だから無理して料理をするのはやめて、おじいちゃんの好きなものを食べてもらうことにしました。大好きなウナギを軟らかく煮て、お粥にのせてタレをたっぷりつけて食べさせると、「おいしいなあ。何ちゅう食べ物だ?」って、認知症だから毎食同じものでも喜んでくれるんです。私は苦手なことをやめて、その代わりにおじいちゃんとの会話を楽しむようにしました。会話といってもいつも同じですが、おじいちゃんは毎日上機嫌でしたね。 でも夜中に起こされるのはやっぱりつらくて……。「かゆい、かいてくれ」と呼ばれたときに、「歌を歌ってくれたらかいてあげるけど、どうする?」と聞いてみると、おじいちゃんは「分かったよ」と歌ってくれるんです。ときには「♪じいちゃんは今生きている~生きているからかゆいんだ~死んだらどうなる?」と歌いながら聞くと、おじいちゃんは「死んだらお陀仏だ」と返す(笑)。3年ぐらいしてやっとそういう会話が出てきました。 5年ぐらいたったころ、夜中に「誰でもいいからかいてくれ」と起こされたときに、ふっとひらめいて洗濯ネットをかぶってみたんです。すると、「誰だ、お前は? 名を名乗れ。もういいからあっちへ行け」と。おじいちゃんは気持ち悪かったと思いますが、私はがぜんおもしろくなってしまいました。次は馬のかぶり物を買ってきて、「かいてくれ」とお呼びがかかったときにかぶっていくと、「なんだ馬か。馬にはかけんわな」と言うんです(笑)。すっかり夜中に起こされるのが楽しみになって、つらいと思っていた介護がガラッと変わりましたね。嫌いだった義父がいつしか可愛くなっていました――在宅介護にはご家族の協力も不可欠だったのではないでしょうか? 娘や夫もよく協力してくれました。「今日はこんなことを言っていたよ」と愉快なやり取りを話すと夫も大笑いで、おじいちゃんの話が家族の癒やしになっていました。 普通ならタブーの言葉もポンポン使っていました。食事のときに脇に手を入れて体を起こすと「どこへ連れて行く?」と聞くので、「あの世」と言うと、おじいちゃんは「まだ行かない」と即答です(笑)。介護中に「あの世」とか「お陀仏」とか言うとスッキリするんです。本音を言えるから。本音を隠して「お義父さまにはいつまでも長生きしてもらいたいわ」なんて言っていたらうつになりますよ。 近所から「ご不要になったテレビ、壊れた冷蔵庫がありましたら、無料にてお引き取りします」というアナウンスが聞こえてくると、娘と「壊れたおじいちゃん、ただで持っていくかね?」と話して笑っていました。おそらく数十年後には、娘に「壊れたおばあちゃん」と言われて一緒に笑うんじゃないでしょうか。 ――ご自宅での看取りはどんな様子だったのでしょう? 介護を始めて6年、2011年の10月ごろから便のコントロールができなくなり、12月には食べる飲むができなくなって、今思えばいよいよ看取りの時期だったんですね。ところが私はおじいちゃんのことがすっかり可愛くなっていて、オムツを替えただけで「お前は天使だよ」と言ってくれるし、講談のネタになるし、馬をかぶると面白いし、これは死なせてはいけないと検査入院をしてもらいました。 でも、娘に「もう十分でしょ」と言われて気が付きました。こんなヘンテコな私の介護に付き合ってくれてありがとう。おじいちゃんに会えてよかったよと伝えなければと思い、家に連れて帰りました。家族みんなでそばに付き添い、3週間目に、おじいちゃんは静かに息を引き取りました。私たちは「フレー、フレー、じいちゃん! しっかりあの世に行くんだよ」とバンザイをして、おじいちゃんの十八番だった早稲田の校歌を歌って見送りました。映画を見て、こんな介護もあると知ってほしい高座で語る鶴瑛さん。お義父さんとのエピソードに客席から笑いが起きる(写真提供/田辺鶴瑛 撮影/ヤナガワゴーッ! )――介護講談にはお義父さんとのやり取りも盛り込まれています。反応はいかがですか? 呼ばれた先でおじいちゃんの話をしたら、今までにないぐらい受けて、お客さんの反応がまるで違いました。きっと、おじいちゃんのキャラクターがよかったんでしょう。私が自分をさらけ出しても、寝たきりで逃げようがないから、全部受け止めてくれました。すべてをさらけ出す介護ができて楽しかったです。 ――そんな鶴瑛さんの高座姿が映画になりました。誰に見てもらいたいですか? 介護の経験のない若い人にもぜひ見てもらいたいです。“介護”とつくだけで暗いイメージがあって聞きたくない人もいるでしょうが、そういう人でも私の講談を聞けば、「こういう介護だったらやってみてもいいな」と思えるかもしれません。介護と認知症の理解の一助に、また常識破りの私の介護がひとつの参考になればうれしいですね。<取材協力>田辺鶴瑛(たなべ かくえい) 1955年北海道函館市生まれ。講談師。19歳のときに母、30代で義母、そして50代で義父の介護を経験。自身の経験を盛り込んだオリジナルの介護講談を各地で披露している。2016年に完成した映画「田辺鶴瑛の『介護講談』」(荻久保則男監督)には、娘の田辺銀治との高座シーンや、6年にわたる義父の介護の様子も収録されている。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 人気ブログ「コバヤシの、ハードロック介護!」のコバヤシさんに聞く「明るい介護」とは? https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/11/24/7090/ Thu, 24 Nov 2016 03:48:39 +0000 インタビュー publish 取材・文・撮影/ジャーナリスト 山本久美子  アメーバブログの「BLOG of the year2015」優秀賞(一般部門)に選ばれた、ブログ「コバヤシの、ハードロック介護!」コバヤシさんのブログ「ハードロック介護!」は、介護士の小林さん本人を模したキャラクター「コバヤシ」が遭遇した介護現場でのエピソードを、妻でイラストレーターの小林みそさんの4コマ漫画で表現するというブログです。ブログの読者数は 1万6983人(2016年11月17日現在)になり、2016年6月にはブログの4コマ漫画が書籍にもなりました。 「介護は楽しい」というコバヤシさんの、ちょっとお調子者(みそさん談)なキャラクターが存分に発揮された明るい介護のエピソードは、読む人の心を和ませてくれるようだ。どんな思いでブログを続けておられるのか、おうかがいしました。 「介護を明るくしたい」がブログのスタート ――まず、「ハードロック介護!」というブログを始めた理由を教えてください。 小林みそ:そもそもは夫婦の日常会話から始まったんです。介護施設での仕事を終えて帰宅した主人が利用者さんに言ってもらってうれしかったことなど、いろいろな話をしてくれるのですが、それがけっこう面白くて、せっかくだからブログにしてはどうかと勧めたことがきっかけです。 コバヤシ:文章だけではなく、絵もあったほうがいいだろうからと、嫁が挿絵程度なら描いてあげるというので、スタートしました。2013年11月のスタート時のブログでは、文章と挿絵で構成しています。ただ、文章が多くて面白くない、と二人とも思ったので、今のような4コマ漫画の展開に変えました。週1回更新することを目標として続けているうちに、次第に読者数が増えてきたんです。 ――ブログ名の「ハードロック介護!」ですが、なぜこのブログ名にしたのでしょうか? コバヤシ:介護は、真面目な人が働いているとか、大変そうとかのイメージをもたれがちですが、そんなことだけではないと伝えたくて、あえて真逆な言葉と組み合わせようと思ったんです。趣味でずっと音楽をやっていますが、「ロックだぜ!」みたいなやんちゃな兄ちゃんの気合いが表現できてゴロのよい「ハードロック」が、組み合わせとしてはいいと思って名付けました。 小林みそ:主人は、「一日一笑」と言っていますが、介護施設ではあえておどけて見せたりして、明るい雰囲気をつくっているようなんです。介護のイメージを明るいものに変えたいなら若い人にも見てもらおうと、キャッチーなブログ名がいいと賛成しました。 ――ブログを読んでいる方は、どういった反応をされているのでしょうか? コバヤシ:ブログは記事ごとに、「いいね」ボタンをクリックしたり、コメントを書き込めるようになっているのですが、いただいたコメントを見ると、福祉関係者の方から「それってあるある」とか「対応が参考になる」といったものや、家族を介護している方から「明るい漫画を読むと元気になれる」といったものが多いですね。 小林みそ:ブログを読んで、気持ちが楽になったとか、ほっとするとか言っていただけると、うれしいですね。明るい介護にするために高齢者と接するコツはある?コミュニケーションの取り方が参考になる、4コマ漫画「励まし」――介護士としての専門知識があるからかもしれませんが、認知症の高齢者の方とのコミュニケーションが上手だなと思いますが、コツはあるのでしょうか? コバヤシ:利用者さんから家族や友達のように親しんでもらえるように、接していますから、特に計算してテクニックを使っているわけではありません。「相手の世界に寄り添う」ということを心がけています。利用者さんの生まれ育った場所、やってきた仕事など、どういった人生を送られてきたのかという情報は頭に入れています。同じようなケースでも、一律同じ対応はしていません。その方のキャラクター性にあった対応方法を考えています。いつもうまくいくとは限りませんから、いろいろな方法で接してみるといいと思います。 ――認知症の方は同じことを繰り返すといった行動も多いようですが、そんなときはどういった対応をされるのですか? コバヤシ:同じことを言われるたびに、違う返答をすることもあります。自分の引き出しの多さを試されているのだなととらえるようにして、どんな言葉で返そうかと、いつも考えています。やりがいは「ありがとう」の言葉、苦労は体力の維持介護のやりがいを感じるという、4コマ漫画「帰ってきてね」――「帰ってきてね」の漫画には「ショートステイ最終日」とありますが、勤務している介護施設はどんなところですか?そこでのやりがいやご苦労についても、教えてください。 コバヤシ:勤務先は三重県にある特別養護老人ホームで、ショートステイのサービスも行っていますので、どちらの利用者さんも担当します。ショートステイは、在宅介護中の方が1泊2日以上の短期間入所されるものです。家に帰りたいとおっしゃる方が多いのですが、漫画のように「帰りとぉないわぁ」と言っていただけると本当にうれしいです。 利用者さんに直接「ありがとう」という言葉をいただけるのがやりがいですね。それから大変なのは、体力面です。排泄や入浴介助などは苦ではないですが、疲れてくると丁寧な対応ができなくなってくるので、それが辛いです。 ――私なら、コバヤシさんのような明るい介護士さんに介護してもらいたいと思いますが…。 コバヤシ:人手が足りないと当たり前のケアがしたくてもできないことになりますし、チームワークも大切なので、その点では自分は環境に恵まれていると思います。介護スタッフ自身の心構えも重要で、志をもって介護にあたっているかが重要です。そういう介護士は身近なところに必ずいると思いますよ。明るい介護のカギは「気持ちの切り替え」。ヒントを見つけてほしい――今後、このグログをどう見てほしいとお考えですか? 小林みそ:主人がいつも使う言葉が「気持ちの切り替え」です。ブログに描きましたが「侍ニッポン」の漫画のように、想像力を豊かにして面白がることができれば、介護を明るく楽しく感じることができると思います。 コバヤシ:読者の方のコメントの中で、「家族の介護ではイラっとしたりツライと感じたりすることも多いのですが、ブログを読むと、気持ちの切り替えをするためのヒントが見つけられます」という声を見ると、ブログを続けていてよかったなあと思います。気持ちの切り替えのヒントになる4コマ漫画「侍ニッポン」小林みそ:最近では、読者の方の集いの会も開いています。介護関係者の方やご家族の介護をされている方、介護に関心のある方などが集まって、食事をしながら情報交換をしたり、悩み相談をしたりと有益な時間になればいいなと思って開催しています。 それから、ブログは主婦や学生など幅広い方に見ていただける場なので、何てことのない日常や、介護の温かい部分、面白おかしい部分などを気軽に楽しんでいただけたらうれしいです。 11月5日に開催された「ハードロック介護!交流パーティーin横浜」でのシーン。コバヤシさんの先導で、三重県伊賀市が制作した「忍にん体操」を参加者全員がしているところ 介護、特に認知症の方の介護はとても大変だと思います。それでも、「介護は楽しい」と言えるコバヤシさんの、明るい面を見ようとするモノの見方や受け流し方は、介護に携わる方々の参考になることでしょう。介護に対する熱い情熱をもっている多くの若い人たちが、介護の現場で働き続けたいと思える社会になってほしいと願います。プロフィールコバヤシさんと小林みそさん コバヤシさんは、三重県在住の介護職員。介護施設での日常を4コマ漫画にしたブログ「コバヤシの、ハードロック介護!」が話題となり、「BLOG of the year2015」優秀賞(一般部門)を受賞。趣味のバンドではドラムを担当。妻の小林みそさんは、イラストレーターで、ブログの4コマ漫画を担当している。ブログはワニブックスから書籍化もされている。 ○ブログ「コバヤシの、ハードロック介護!」 http://ameblo.jp/kobayashiiiiit/ 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 新田恵利さん「介護生活は試行錯誤の繰り返し。失敗しても笑い話にしちゃいます」 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/10/26/7018/ Wed, 26 Oct 2016 01:50:00 +0000 インタビュー publish 取材・文/森島薫子 撮影/刑部友康 タレントの新田恵利さん(48)の母、ひで子さん(88)は、2年前に骨粗しょう症のため寝たきりの状態(要介護4)になった。突然始まった母親の介護を、兄と協力して自宅で行うと決めた新田さん。寝たきりの状態のなかでも「再び歩けるようになりたい」というひで子さんの気持ちに寄り添い支えた結果、ひで子さんの身体機能は徐々に回復し、現在は車いすで生活できるほど(要介護3)になったそう。そんな2年間の介護生活を語ってもらった。 元気だった母が骨粗しょう症で入院後、寝たきり状態に――お母さまが寝たきりの状態になった「きっかけ」を教えてください。 母は20年ほど前から、骨粗しょう症による圧迫骨折で数年ごとに入院や自宅療養を繰り返していました。そのころは病院や自宅で1週間ほど絶対安静にしていれば痛みが治まり、元の生活に戻れていました。寝たきりになる前も、私が飼っている犬の散歩を毎日してくれていて、たまに2人で買い物に行くときも、私のほうが先に疲れて「休憩しようよ」と言うと、「もうだめなの?」と返すくらいに足は達者だったんです。 しかし2年前に圧迫骨折を起こしたときはこれまでとは様子が違いました。自宅で安静にしていても強い痛みがなかなか治まらず、母の希望で入院することにしたのです。母が希望したのは、以前も何度か入院した病院だったのですが、そのときの入院では担当医の先生となかなか会えず、治療計画についてもよく分かりませんでした。ただ、母に「リハビリしてる?」と聞いたら「してるよ」という答えだったので、何となく不安ではありましたが入院を続けていました。 ところがある日、母が、30年前に他界している父親のことを「お父さん今おうちで何してるの?」と聞くんです。ほかにもおかしい言動があり、私たち家族は「ママが認知症になっちゃったんだ」と思ったのです。そうなると、もう足のことより認知症が心配で、必死になって担当医の先生をつかまえて、「うちの母がおかしなことを言ってるんですけど認知症になったんじゃないでしょうか、どうしましょうか」と聞きました。そしたら、「はあ、そうなら退院させたほうがいいね」と言われたんですね。 突然退院が許されて、「えっ、どういうこと」と驚きました。でも、先生が退院していいと言うならもちろん足は治っているはずで、これまでどおり歩けるんだろうと思っていたのです。そして退院の日、母は看護師さんに車いすを押してもらって病院の出口に来ました。そこで、迎えのタクシーに乗せようと、「ねえママ、ここにつかまって立って、タクシーに乗って」と言ったら母は立てなかったんですよ。 入院する前は、痛くても、何かにつかまって立つことはできていたので、すごくショックでした。「えっなんで? 入院して、リハビリもしてたのに、どうして立てなくなったんだろう」と、いろんな疑問が頭を回っていたんですけど、タクシーの運転手さんも待ってるし、そのときはとにかく看護師さんの手を借りて車に押し込んで、家に帰ったのです。そして、退院の準備をして家で待っていた兄と一緒に、何とか家に運び込みました。 こうして、私たち家族の介護生活が始まりました。地域包括支援センターの対応に救われ、介護と向き合う覚悟ができた――何の準備もなく、いきなりの介護だったのですね。まず、何から始めたのでしょうか? 家に帰って母をベッドに座らせようとしたら、そのままゴロンと横になってしまって、寝返りさえもろくに打てない様子でした。そこで最初に思ったのは、「介護ベッドが必要だ」ということです。でも、そのために何をしていいかも分からない。そこで、市役所に行けば相談にのってくれるだろうと話し合い、母の世話を兄に任せて私は市役所に行き、そこで地域包括支援センターを紹介されました。 家に帰ってすぐ地域包括支援センターに電話して……。スタッフの方は「それは大変ですね」と心配してくれました。そして、私の長い話をじっくり聞いてくれたのです。これには本当に救われて、気持ちも少し落ち着きました。 さらに、電話をしてしばらく後に、スタッフが自宅に来てくださって、基本的な介護の仕方や手続きについて教えてくれました。例えば、治療や介護のためおむつを使う場合、税金の関係で「おむつ使用証明書(※)」が必要なことなどです。そこで、兄がおむつの取り替え方などを教わっている間に、私はおむつ使用証明書を取りに、再び市役所と病院に向かいました。 その翌日にはケアマネジャーさんが来て、母は「要介護4」と認定されました。そして、介護ベッドを手配して居間に設置できました。もちろん、このほかにもいろんな介護グッズが必要です。これらは仕事の合間に手作りしたり、買いに行ったりして少しずつそろえていきました。私が初めてつくったグッズは、タオルケットなどを丸めて、布で巻いて縫った抱き枕のようなものです。これは、母が寝返りをするとき背中に当てて、サポートするのに役立ちました。 ――ご自宅に戻ってから、お母様の容態は変化しましたか? 退院のきっかけになったつじつまの合わない言動は、家で生活するようになった後はなくなりました。その当時、いろんな専門の医師の方とお仕事をご一緒する機会があったので聞いてみたんです。そしたら、「その症状は、病院に入院してから急に起こったんでしょ。それなら『せん妄』だよ」って教えてもらえました。高齢者の方などが入院などで急に環境が変わるとよく起こるようで、幻覚や幻聴などの症状があるそうです。 まずは認知症ではないと分かってほっとしました。 身体のほうは訪問のリハビリの方が週2回来てくれて、最初はまったく座れなかったのが後ろに枕をおけば座れるようになったり、寝返りが打てるようになったり、本当に小さなことからゆっくりですが、少しずつ回復していきました。 兄が「介護転職」して同居。在宅介護をすることに――新田さんはじめ、ご家族は皆さん仕事をお持ちですね。日々の介護はどうされているのですか? 当時、母と私たち夫婦が分離型の二世帯住宅に住んでいて、兄は都内に住んでいました。そこで家族で話し合い、兄が母と一緒に暮らすことにしたのです。このため、兄は都内での仕事を辞め、自宅近くに転職しました。介護離職ならぬ「介護転職」ですね。 そして、介護のおおよその役割分担も決めました。私が主に日中から夜の介護を担当しますが、兄の仕事は飲食関係で夕方からの出勤なので、私に仕事がある日の介護は代わってもらっています。そして、夜中のおむつ交換などは、仕事から帰った兄が担当することになりました。 介護保険サービスは、週2回の訪問リハビリに加え、週1日ヘルパーさんと訪問入浴、また隔週で訪問ドクターに来てもらいました。ですから、母は週7日のうち5日は予定が入っていて、「ママは私より忙しいよ」なんて話して笑ってたんですよね。こうして、介護保険サービスを利用しながら家族で介護する生活リズムができたのです。 ――お兄さんが「介護転職」して同居するのは大きな決断でしたね。そこまでして在宅介護を選んだのはなぜでしょうか。 介護が始まったとき私たちの頭には、介護付き有料老人ホームなどの選択肢はまったく浮かびませんでした。とにかく寝たきりの母を、兄妹が中心となって何とか世話するという気持ちしかなかったんですね。その後、兄が同居して介護のリズムができると、大変だけど何とか生活できてしまうし、母も回復してきたので、このまま在宅介護を続けるつもりでいます。でも、もしも私だけで介護することになっていたら、つらすぎて介護施設へ入居してもらうことも考えたかもしれません。歩くという目標と回復の実感がエネルギーとなり、リハビリ入院に挑戦――お母さまは、その後リハビリ専門の病院に入院して、現在は車いすで移動できるほど回復されたそうですね。    はい。訪問リハビリの方からアドバイスされたらしくて、母のほうから「40日間、リハビリだけのための入院をしたい」って言い出したのです。もちろん、要介護4でも毎日リハビリを受けるだけの介護保険の点数はないわけですから、お金は持ち出しになってしまいます。でも、私たちとしては、本人がやる気になっているならぜひがんばってほしいと大賛成でした。 それで、去年の夏、介護が始まってから10カ月目くらいのときに入院。リハビリの甲斐あって、退院の2カ月後の介護認定時には要介護3になれたのです。 それから1年、母は退院後もデイサービスと訪問リハビリを合わせて週3回やり続け、さらに回復しています。リハビリの病院から退院したときは、ベッドから車いすへ体を引きずるようにして移動していましたが、今はつかまるところがあれば車いすへ移動できます。さらに、手すりにつかまって立ち上がるのにチャレンジ中で、三回目くらいにはスッと立てるようになっています。また、つい最近はたったの3歩ですけど歩くことができたんですよ。 日常生活でも、自分でトイレに行けるのでおむつ替えがなくなりました。また、車いすで家の中を移動してキッチンに行き、冷蔵庫を開けたり、電子レンジを使ったりすることもできるので、私が仕事で遅くなったとしても、自分でお気に入りの冷凍食品(今はたこ焼きが母のマイブームのようです)を温めて食べることもできます。介護するほうとしても、寝たきりの当初に比べて本当に楽になりましたね。 ――ご家族は、お母さまの「治りたい」という気持ちをどのように支えてきたのでしょう。 介護が始まった当初は寝たきりとはいえ、母自身は、前と同じようにすぐ歩けるようになると思っていたようです。介護が始まったのが10月だったのですが、2カ月後の正月には歩けるようになるよと言ってたんですね。でも年末になると、それができないことが本人にも分かって、どんどん落ち込み始めたんです。 そこで私は、心の底では無理だと思いながらも「ママもいい年だからすぐに歩くのは無理だけど、私の誕生日の3月までに少し歩けるようになって、誕生日プレゼントにしてちょうだい。何よりそれが欲しい」と言いました。そしたら「分かった」と、また前を向いてリハビリなどに励んでくれるようになりました。 しかし、3月が近付いても歩くのは到底無理で、母はまた落ち込んでしまいました。そこで「じゃあ、6月に私たちの結婚記念日のプレゼントにしてくれたらいいよ」と、目標をさらに先に設定したんです。もちろん6月になっても寝たきりでした。ただ、介護が必要になってから8カ月もたつと、母自身が現実を受け入れられるようになってきたんですね。 8カ月で歩くのは無理だった。でも、寝返りが打てるようになった、座れるようになったと、自分がどこまで回復してるのかが、何となく分かってきたようなのです。そうすると、「リハビリを続ければ少しずつでも回復するんだ」という実感が母の中に蓄積されていってそれが自信となり、リハビリのための入院にも挑戦する気持ちになったのだと思います。 介護が始まって最初の数カ月は、回復したいという親の『心を支えるサポート』が必要な時期なのではないでしょうか。その時期に母に目標をつくってあげられてよかったと思います。その一方で、母の持病や介護について私がもっと前から知識をもっていれば、母はもっと早く回復したかもしれないという後悔もつきません。 うまく介護できた日は自分を褒め、失敗したら笑い飛ばす――在宅介護は大変なことも多いと思いますが、気持ちのうえでどのように乗り切っているのですか? 母が寝たきりだったときは、おむつ替えの大変さや「あれをやってくれ、これやってくれ」と小さな用を言いつかるときのイライラなど、労力の面での大変さは日常的にありました。また、心配事もつきませんでした。 そんな日々のなかでも、介護を楽にこなすアイデアがふっとひらめくことがあります。そのときには「自分はなんて天才なんだ」と、自分を徹底的に褒めていましたね。そうすると気持ちが明るくなりますよ。 例えば、以前母が元気だったとき、私が出かけている間の緊急事態に備えてベッドの脇にホイッスルを置いていました。しかし、寝たきりになってから母はホイッスルを吹くことができなかったので、どうしようかとずっと考えていて、ある日ふと「防犯ブザーはどうだろう」とひらめいたんです。さっそく母のベッドわきに置いて、ひらめいた自分を自画自賛しまくりました。 ――それはいいアイデアですね。また、特にひらめきがなくても「いつもの介護をがんばっている」自分を褒めるのもいいかもしれませんね。 そうですね。介護生活は、いろいろな試行錯誤の繰り返しだと思います。失敗することも多いですが、それはそれで、いい笑い話になります。私は、母のおむつを替えるときの臭い対策で、鼻の下にハッカオイルなどをつけていたんですけど、ついつけ過ぎちゃうんです。そうすると、まあ、皮膚はヒリヒリするわ、鼻にツーンとくるわ、すごいんですね(笑)。それでしょっちゅう「臭いもハッカもキツいや~」って、母と一緒に大笑いしていました。 ――それでも、「もう我慢できない」と思ったことはないですか? 私は、高齢者の介護の難しいところは、体調や気分が日替わりで変わることだと思います。母の場合は、「時間替わり」と言ったほうがいいかもしれません。朝はしっかり朝食も食べて「ああ元気だな」と思っていたら、急に下痢を起こしてしまったり、時間単位で変わるのにそれが読めないのです。 以前、夕方に、「今日夕飯大丈夫、食べる?」と聞くと、「うん、食べたい」と言うので、一生懸命つくって7時くらいに持って行くと、「もう、いらない」って言うんですよ。こちらは、忙しいところを母のためにつくってるのにと思うから「ムカ~~」ときて、「さっき食べるって言ったじゃないの! そんなに短時間で体調が変わるの!」ってきつく言っちゃって大ゲンカ。でも、2、3時間もして頭が冷えてくると思い直すんです。そういえば、母の体調って本当に短時間で変わるんだよなと。 親子なので、ケンカするときは激しくなることもありますし、腹が立ちすぎて「もう介護できない!」と思うこともあります。でも、一番つらいのは、母の食欲がないときとか、調子が悪くてずっと寝てしまっているときとか、そういうときに様子を見守るしかないことです。やはり親子ですからね。 ――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。 もしも親御さんが、私の母と同じように何かしら持病を持っている場合は、その持病に詳しい医師、病院の情報を今から把握しておくことをおすすめしたいです。また、親がある程度の年齢になったら、介護について少し勉強しておくといいんじゃないでしょうか。そうすれば、いざというとき余裕をもって介護にあたれるんじゃないかと思います。 ※おむつ使用証明書/おむつ代が、所得税の医療費控除の対象として認められるために必要な書類。医師に発行してもらい、初年の確定申告書類に添付する<取材協力>新田恵利(にった・えり) 1968年、埼玉県生まれ。‘85年、アイドルグループ「おニャン子クラブ」の一員としてデビュー、人気を博す。翌年ソロデビュー曲「冬のオペラグラス」がヒット。その後、女優、作家、エッセイストとしても活躍。現在、ラジオ日本「加藤裕介の横浜ポップJ」にレギュラー出演中 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 三菱UFJリサーチ&コンサルティング矢島洋子さんに聞く。介護休業法の改正で、介護離職は防げるか https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/07/13/6581/ Wed, 13 Jul 2016 01:07:21 +0000 インタビュー publish 取材・文/森島薫子 撮影/片山貴博

三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 政策研究事業本部 社会政策部 共生社会室長 主席研究員 矢島洋子さん

2016年3月末、「育児、介護休業法」等の改正案が成立しました。このうち介護休業については、社会問題となっている「介護離職」を防ぐため、仕事と介護を両立しやすい形に法制度が改められたといいます(2017年1月より施行予定) 。 万が一、親や親族が要介護状態になったとき、仕事と介護を両立するためにはどうすればいいのか。厚生労働省の委託を受けて「介護離職」に関する調査を行うなど、法改正の一翼を担った三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の矢島洋子さんに聞きました。 介護休業と時短勤務等の組み合わせで長期的な介護に対応―― 育児・介護休業法の改正によって、介護休業制度はどう変わるのでしょうか。 矢島:改正育児・介護休業法の一番のポイントは、「介護休業の期間の限度は、これまでと同様93日間ですが、最高3回まで分割取得できる」ようになったことです。また、所定外労働の免除は介護が終了するまで、その他時短勤務等は介護休業とは別に3年間と、長期にわたって柔軟な働き方が選択できるようになります(下図)

現在の介護休業法と改正後(2017年1月施行)の内容を比較。(編集部作成/赤字は改正された部分)
※1 同一の介護状態につき93日。例えば、介護休業を1回取得後、別の病気等で介護状態が重くなる場合などは介護休業を再度取れる(改正後も同じ)
※2 介護の対象家族1名につき5日。例えば2名介護する場合、年間10日休暇を取れる
※3 図の日数は取得期間の一例
※4 時短勤務、フレックスタイム、時差出勤、介護サービス利用費用の助成のうち、事業主はいずれか1つを選択して制度化する義務を負う

  介護休業は「介護準備のための休業」と考える―― 介護休業を分割して取れるといっても、93日までではそれを過ぎて離職ということにならないか心配なのですが。 矢島:介護休業という言葉から、「自分で介護をするための休業」と誤解している方が多いのですが、介護休業法でいう介護休業は、「介護が必要となった場合、介護の体制づくりをする」ことを目的に設定されている休業なのです。 介護は子育てと違い、いつ終わるか分からないものです。例えば10年、20年続く場合、親や親族の介護を本人が行うことを前提にしてしまうと、休業期間を3年としても不足です。また、介護終了までずっと休業できるとするというのも、本人にも会社にも負担がかかり現実的ではありません。 このため同法は、労働者の方が「仕事と介護を両立する」ためのサポートを目的としています。そして介護休業については、介護保険の手続きや住宅の改造、いろいろなサービスの手配、親族間の役割分担など、介護と仕事を両立していく準備をするための休業と位置付けているのです。 その前提で、実際に仕事と介護を両立している人の休業の取り方をみると、「介護準備のための休業」にはそれほどの期間を使っておらず、取得期間は1カ月に満たない期間が多い状況です。そこで改正法では介護休業期間の上限は延長せず「分割取得」を可能にし、これまで介護休業に含まれていた時短勤務等を、それとは別に取得できる形に改正されたのです。 今後、改正法が施行されて休業を分割取得できるようになったら、例えば、最初に数週間から1カ月程度休業をとって介護の体制を整えて仕事に戻り、必要な場合は所定外労働の免除やフレックスタイム、時短勤務、在宅勤務、1日や半日単位の休暇などを利用して仕事と介護を両立させる。その後、何かのタイミングで要介護者の状態が変化することがあれば、その状態に合った介護体制に見直すために、再度介護休業を活用する……ということが可能になります。本人が長期の休業を取って、自ら介護に専念してしまうよりも、こうした形で、働きながらサービス等も活用して介護を続ける、という考え方でスタートしたほうが離職を防げる可能性が高いと思います。 介護が必要になる前から、会社の制度を知っておく―― 改正によって、仕事と介護の両立がしやすい職場環境が実現しそうでしょうか。 矢島:最近では、長い休みよりも、従業員のニーズに合わせて柔軟な働き方で、働きながら介護をすることができる両立支援制度の必要性が高いことが、企業にも認識されてきています。介護休業の分割取得を可能としている企業もありますし、所定外労働の免除や短時間勤務制度も導入している大企業は少なくないため、各企業の制度移行にそれほど支障はないと思います。 ―― 中小企業はどうでしょうか?   矢島:仕事と介護の両立支援制度というと、大企業は余裕があるから対応できて、中小企業は対応しにくいというイメージが強いようです。しかし、制度が充実していればいいのかというと必ずしもそうではありません。例えば、出産や育児で辞める女性は中小企業のほうが少ないのです。これは、中小企業のほうが、制度はなくても、必要に応じた柔軟な働き方ができていたためとみられます。ですから、介護についても「柔軟に働ける」という視点から見ると中小企業のほうが両立しやすいという可能性もあります。 ただし、中小企業の場合、会社による考え方の違いが大きいため、正直なところ柔軟な対応ができない企業もあります。しかし、平均的にいうと、大企業より柔軟に働ける企業が多いと思います。 ―― 介護離職を防ぐため、今後、雇用側にはどんなことが求められますか。 矢島:私たちが介護離職に関する調査を行ったところ、仕事をしながら介護をしている人のうち会社に相談した人は10%前後という現状が見えてきました(下グラフ)。つまり、「働きながら介護していても、会社に相談する人はとても少ない」ことが分かったのです。 ですから、今、企業に求められているのは、現在、介護のことで悩んでいる従業員はもちろん、まだ介護に直面していない従業員にもしっかりと、『仕事と介護の両立』に関する情報提供を行うことです。介護に直面する前の段階で、「介護に直面した場合、会社としてはみなさんに辞めずに働き続けてほしいと考えています」「介護体制をつくった上で、柔軟な働き方で仕事と介護の両立をはかってください」というメッセージを従業員に周知することが非常に重要だと思います。

■介護をしながら就労している人(離職した人)が「介護について相談した人」の割合/仕事と介護の両立に関する労働者アンケート調査(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社、2012年度厚生労働省委託調査)より。
注)自分が介護している要介護者すべてにかかわる相談。「離職者」は、離職前の状況について聞いている

介護に直面したときは、会社の上司と自治体の窓口に相談を―― 今、介護に直面している人へ、仕事を辞めずに両立していくためのアドバイスをお願いします。 矢島:現在は、介護に直面したとき、ご家族の中でしか話し合っていない人が多いのが実情です(上グラフ)。しかし、一番大事なのは「仕事と介護の両立を支援するサービスや制度の正確な情報があるところ」に相談することです。仕事の面では会社の上司や人事などに相談することが大事ですし、介護の面では、介護が必要な方が住んでいる自治体の地域包括支援センターか高齢者介護の担当窓口に相談することをお勧めします。 一般的に、介護にいたるきっかけは、親御さんが病気などで具合を悪くして入院……から始まることが多く、病院から紹介を受けたケアマネジャーと相談して介護保険の適用を考える人が多いようです。 そのまま、要介護認定を受けて、介護保険の利用を開始してしまうと、紹介されたケアマネジャーや介護事業者に納得がいかなければ変更することができることや、自治体では介護保険以外にも、ゴミ捨てなどの生活支援サービスやおむつ費用の助成などのサービスを提供していることなどを知らないままになってしまうこともあります。ですから、併せて自治体の窓口にも行って、介護に関する制度やサービスについてしっかりと聞いてみることが大事だと思います。 ―― 会社や自治体などには、具体的に何を相談したらいいのでしょう。 矢島:会社では、「介護を担いながら、どういう働き方の選択が可能か」を、まずは上司と相談しながら設定するのが大事だと思います。仕事と介護の両立のためには、残業をしなくて済むことや1日や半日単位の短い休暇といった柔軟な働き方ができることが重要で、こうした働き方が実際にできるかどうかは、実は、会社の制度以上に、上司の理解や裁量にかかっているからです。 しかし、例えば「親の介護があるので、これから先は週に2~3回しか会社に伺えません」では、正社員として仕事上の役割を果たすことは難しくなってしまいます。子育てで認められている短時間勤務は週30時間の勤務ですが、この程度の時間を下限として、フルタイムに近い時間働くための「介護体制」をつくることも重要です。介護における自分の役割を決め、会社で働く時間は、任せられる介護サービス利用や親族間の連携体制をきちんとつくって、介護における自分の役割を果たすための支援を会社に相談することが大切だと思います。 親や親族の理解を得て、仕事と介護を両立する道をつくりたい―― 仕事と介護を両立するためには、親御さんや親族の方にも状況を理解してもらうことも大事そうですね。親が元気なうちから話をしておいたほうがいいのでしょうか。 矢島:面と向かって切り出しにくい話題ではありますが、最近は、介護や終活などをテーマにしたテレビ番組や新聞・雑誌の特集記事なども多くなっていますから、それらをきっかけに「どこでどんな風にケアされたいのか」といったことを話すチャンスをもつのも大事なことだと思います。 親御さんの世代も元気なうちはなるべく子どもの手を借りないで過ごしたいという方が多いのですが、例えば、配偶者が亡くなって心細くなったり、今までできていた身の回りのことができなくなったりすると、お子さんに頼りたいという気持ちが強く出てくるようです。それに引きずられるように「自分で全部やらなきゃと思ってしまう」お子さんも多いよう。 しかし、自分の生活のこともよく考えて、共倒れにならないよう「仕事と介護を両立させるため、介護保険サービスなどを利用して親族同士も協力しながら介護していきたい」という旨を、親御さんや周りの親族の方々にも理解してもらえるようにしておきたいですね。 私はもともと介護問題についてリサーチしてきて、専業主婦の方がひとりだけで介護をしている様子をたくさん見てきました。それでつくづく、介護だけの生活は精神的に非常に厳しいという思いをもっています。仕事と介護との両立に直面すると、「両立は大変だから介護だけしたほうがいいんじゃないか」という考えになりがちです。しかし、介護だけに向き合うほうがかえって精神的にも経済的にも厳しくなることがあるということも理解して、何とか、今までの仕事を続けながら介護をする道を探してほしいと思います。 取材協力三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社 政策研究事業本部 社会政策部 共生社会室長 主席研究員 矢島洋子さん 少子高齢社会対策、男女共同参画の視点から、ワークライフ・バランス、女性活躍促進、介護問題などに関する調査、研究、コンサルティングに取り組む。中央大学大学院戦略経営研究科客員教授。著書『介護離職から社員を守る』(労働調査会/共著)等。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>
高齢者が輝くまち「日本版CCRC」を推進 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/02/17/5633/ Wed, 17 Feb 2016 07:04:09 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 日本版CCRCは目的ではなく手段であり、日本のピンチをチャンスに変える切り札と語る松田さん株式会社三菱総合研究所 プラチナ社会研究センター主席研究員 松田智生さん 全米には約2000カ所もある、高齢者が元気なうちから入居し、要介護の状態になっても医療や介護サービスを受けながら継続的に住み続けられるコミュニティ「CCRC(Continuing Care Retirement Community)」が注目されている。これを受けて日本でも地方創生の一環として、「生涯活躍のまち(日本版CCRC)」構想が政府の有識者会議(座長・増田寛也元総務相)によってまとめられた。この会議の主要メンバーであり、三菱総研の「プラチナ社会研究センター」でアクティブシニア論を専門とする松田智生さんに日本版CCRCの展望と課題を聞いた。 日本の社会特性や地域特性に合ったCCRCとは──今の日本に「生涯活躍のまち(日本版CCRC)」構想が必要とされる理由について教えてください。 松田:元気なうちから要介護・看取り期まで、移転することなく安心して継続して暮らせる複合型コミュニティというのが米国で始まったCCRCの概念です。全米で約2000の施設があり、約70万人が居住し、市場規模は3兆円にもなります。このように米国のCCRCがビッグビジネスとして成り立っているのは、介護で儲けるのではなく介護にさせないことで儲ける逆転の発想ですね。それにより予防医療や健康支援、食事、コミュニティ運営、運動など介護ヘルパー以外のさまざまな雇用を生み出します。健康なアクティブシニアが増えれば消費も増え、医療費も抑制されます。いっぽう現在の日本は、税収が約55兆円なのに医療費が約40兆円、さらに介護保険給付費が約10兆円もあり、それらは毎年約1兆円上がり続けていく状態です。このままではいつか国がゴメンナサイする日が来るかもしれません。そうならないためにも、予防医療や健康支援など新たな分野の産業を創出し、雇用や税収を増やし、医療介護費を抑制する日本版CCRCが必要だと考えたわけです。 ──日本版CCRCが目指すのはどのようなかたちなのでしょうか? 松田:まず米国の受け売りではダメだということです。米国モデルの良い点は活かしつつ、日本の社会特性に合わせた日本版が必要です。米国のCCRCは防犯上、原則塀で囲われていますが、日本では地域に開かれた街まるごとCCRCであるべきです。さらに米国のCCRCに住むのは原則高齢者だけですが、日本版は子育て世代や学生など多様な世代がいてもいいのではないかと思います。そしてもうひとつ、米国は建物を新規に建てますけど日本版はストックを使おうと。例えば多摩ニュータウン周辺ではキャンパスがどんどん都心に移転しています。そういう大学の跡地がほぼ余っているわけです。あとは老朽化した団地、撤退した大型商業施設、温泉地の廃業したホテルや旅館など、日本は活用可能なストックの宝庫です。実際、千葉のスマートコミュニティ稲毛では、撤退したイトーヨーカドーの建物をリノベーションしてクラブハウスに再利用しているのです。 世話になるのではなくコミュニティの担い手に──日本版CCRCでの生活はどのようなイメージなのでしょうか? 松田:今後の人生を楽しみたいから、あるいは自分のキャリアを活かしたいからというのが入居動機となりますから、健康なうちに入居します。そこでは世話になるのではなく、自分がコミュニティの担い手となるんです。例えばかつて小学館に勤務していた黒笹慈幾さんという方は、「釣りバカ日誌」の初代編集者であり、浜ちゃんのモデルにもなった人ですが、東京の方ですが、釣り好きが昂じて定年後の移住先として高知を選びました。彼とは「釣りバカビレッジ」(笑)のような趣味型CCRCを一緒につくれたらいいねと話しています。また同じ東京生まれの栗原邦夫さんという方は、飲料会社の支社長として4年間赴任した長崎に移住しました。地元の大学に再就職しながら野球部のコーチも包めています。長崎モデルは、転勤族の恩返し型CCRCかなと(笑)と話しています。どちらも今自分が夢中になれることがあり、今そのために汗をかいている人です。こういう人たちが集まって暮らすのが日本版CCRCなのかなと考えています。 ──まず地方移住ありき、なんですか? 松田:地方創生の流れで地方移住のイメージがありますが、地方移住ありきではありません。三菱総研の提言のなかでは、自宅に住み続けてCCRCに通うという在宅型もあるし、自宅の近くに移住する近隣型もあるし、郊外から都市の中心部に移住するコンパクトシティ型もあります。地方移住はそのうちのひとつであり、住むのは本人の意思がまず重要です。 ──いずれにしてもCCRCに入居するには、高齢者本人もある種の心構えが必要ですね? 松田:心構えというよりはストーリー性が必要でしょうね。高知の黒笹さん、長崎の栗原さんのように、自分が輝くために、生き生きするためにどうすればよいのかと、自分を主語にして考えないと人って納得しないと思うんです。東京の介護問題が不安だからとか、地方の疲弊が問題だからとか、本人が納得する最大の理由にはなりません。それと準備期間、助走期間は必要だと思います。定年しましたハイ、移住では無理でしょう。例えば50代になったら企業の研修などで終の棲家を考えるとか、研修旅行で「釣りバカビレッジ」に2泊3日ぐらいのお試し居住をするとか(笑)いかがでしょう。自分のセカンドライフを考えるのはミドルのうちから準備すべきです。 ──高齢者がすすんで行きたくなるような、魅力のあるCCRCづくりも必要でしょうね? 松田:健康やスポーツが強みのところがあれば、アートが強みというところがあってもいい。そのほか例えば、母校のキャリアアドバイザーになるとか、海外赴任を経験してきた人が英語を教えるとか、総務で苦情処理ばかりやっていた人はモンスターペアレンツ対策を任されるとか(笑)、キャリアを活かしてできる仕事があることも魅力になるでしょう。年賀状に書くことがなくなるという高齢期に、逆に書いて自慢したくなるストーリー性があるといいですね。 元気のない日本を変える切り札として──日本版CCRCが定着するメリットはどんなところにありますか? 松田:利用者本人にとっては健康、生きがい、プレディクタブルな老後などいろいろあります。プレディクタブルというのは予測できるという意味ですが、米国のCCRCでは原則要介護になっても家賃が変わらない。つまり将来オカネが幾らかかるか予測可能なんです。ところが日本は介護上乗せ費用が高くなるのでアンプレディクタブル。予測できない。だから数千万円の預貯金を残して亡くなる人が多いんですが、その必要がなくなります。さらに地域や行政にとっては、先ほども申しましたように、介護にさせないための産業や雇用が生まれますから若年層の流出が減り、税収増や地域活性化につながります。もちろん医療費や介護費の抑制にもつながるでしょう。人口減少、介護難民、消滅都市など元気の出ない四文字漢字ばかりの現代にとっては、日本版CCRCはピンチをチャンスに変える切り札になります。 ──日本版CCRCが普及するための課題はありますか? 松田:減税や規制緩和などの制度設計が必要ですね。例えば居住者が健康であれば医療・介護費が抑制されるわけですから、本人の健康保険料や税金を安くするとか。あるいは居住者の要介護度が改善された場合には事業者に奨励金を支給するとか法人税を下げるとか、いろいろあると思います。ただ逆に規制も必要だと感じています。というのは「なんちゃってCCRC」がたくさんできてしまうのではないかという危惧があるからです。株式市場でもCCRC銘柄といって、私からすればCCRCとは無縁の介護事業者の株が上がっていたりします。米国にはCARF-CCACというCCRCの認証規格があって、要はISOみたいなものですけど、日本でもユーザー保護のためにCCRCの認証規格があるべきだと思います。 ──現時点で実現されている、あるいは実現への動きがある日本版CCRCはありますか? 松田:全国で37の自治体が上乗せ交付金を活用して「生涯活躍のまち(日本版CCRC)」への取り組みを行っています。まだどこも構想段階ですが、唯一建物が完成しているのがこのサイトでも紹介された「オークフィールド八幡平」です。ほかに日本版CCRCの要素をもつ先進事例としては「シェア金沢」や「ゆいま〜る那須」、「スマートコミュニティ稲毛」などがありますね。 ──日本版CCRCが健全に発展していくといいですね。 松田:事業主体は企業、社会福祉法人、医療法人などが考えられますが、200戸300戸の住戸をつくるというのは地元の社会福祉法人や地元のサービス付き高齢者向け住宅の会社ではけっこうリスクが高い。そこで共同運営法人が事業主体になるという方法もあります。実際、今われわれが手がけようとしているところも、有望な事業だからと地元の医療法人、地元企業、東京の大手企業が出資を考えてくれています。超高齢社会を嘆いていても何も解決しません。「CCRCは難しい」と出来ない理由ばかり言っても今の課題は解決しません。日本版CCRCを阻む壁は、こうした否定語批評家です。あるいはすぐに「いかがなものか?」という人も要注意です。いかがなものかは、英語で意訳すれば” I have no idea”と一緒です。否定、批評、疑問は結構ですが、必ず対案や代案を出すべきです。超高齢社会のなかで、CCRCはピンチをチャンスに変える切り札になり得ます。全国で志のある人々が連携して一歩を踏み出す勇気、日本版CCRCの普及につながるはずです。 「オークフィールド八幡平」は2015年12月にオープンしたばかりの日本版CCRCの試み https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2016/01/13/5192/「シェア金沢」では高齢者だけでなく大学生や児童など多世代が居住し、居住者が店舗で販売を担当する https://kaigo.suumo.jp/article/detail/201409/a002/ Profile松田 智生 まつだ ともお 株式会社三菱総合研究所 プラチナ社会研究センター主席研究員 1966年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。専門は超高齢社会における新産業創造・地域活性化。アクティブシニアのライフスタイル。2010年三菱総合研究所の新たな政策提言プロジェクト「プラチナ社会研究会」を創設。著書に「シニアが輝く日本の未来」(共著)等。内閣府高齢社会フォーラム企画委員、日本版CCRC構想有識者会議委員、高知県移住推進促進協議会委員等を兼任。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 型にとらわれず、クオリティの高い終の棲家(ついのすみか)を追求 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2015/09/09/4259/ Wed, 09 Sep 2015 04:24:12 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 オリックスグループの高齢者向け住宅事業スタート時からリーダーシップをとってきた森川悦明社長オリックス・リビング株式会社 代表取締役社長 森川悦明さん 首都圏・関西圏を中心に、有料老人ホーム「グッドタイム リビング」と高齢者の住まい「プラテシア」を展開するオリックス・リビング株式会社は、オリックス不動産と故・春山満氏が率いていたハンディネットワーク インターナショナルの共同で2005年4月に設立された高齢者向け住宅事業の運営会社だ。入居者をゲストと呼び、建物をゲストハウスと呼ぶ同社のコンセプトは、「本当に求められているのに提供されていないサービス」を提供すること。そのためこれまでの日本の介護の常識を覆すような、新たな「終の棲家」の実現を目指すと森川悦明代表取締役社長は語る。 主力は住宅型有料老人ホームと高齢者の住まい――御社の有料老人ホーム、グッドタイム リビングは住宅型有料老人ホームと介護付有料老人ホームが混在していますが、それはなぜですか? 森川:結果的にそうなっているだけで、類型には全くこだわっていません。2002年にオリックス不動産が計画した街づくりで、医療と介護のサービスが備わっていれば安心の暮らしが実現すると考えて、ケアサービスと高齢者住宅を併設した開発を始めたものが、その後に制度化された住宅型有料老人ホームの定義に合致しました。不安をもってスタートしたコンセプトでしたが、この考えは高齢者住宅の入居者の方々はもとより、住宅購入者の方々からも支持をいただきました。マンションや戸建住宅に住みながら訪問介護サービスを受け、やがて在宅介護が難しくなったら高齢者住宅に住み替えるモデルを実現してきたわけですが、その届出が住宅型となっただけで、私どもの「暮らしをつくる」というコンセプトは類型によって変化するものではありません。 ――一方で、高齢者の住まい プラテシアも展開もされていますが? 森川:春山満さんとフロリダのCCRC(Continuous Care Retirement Community)を視察したときに、衝撃を受けました。インディペンデント・リビング(健常高齢者向け賃貸住宅)からナーシング・ケア・ホーム、病院までが一体開発されていて、住んでいる皆さんがとても明るいんですね。介護が必要になる前から、高齢期に入る方々が主体的にこうしたコミュニティを選ぶ時代が日本にもやってくるのではないかと強く感じ、千葉みなとプロジェクトで、インディペンデント・リビングを高齢者の住まいプラテシアとして誕生させました。その後、芝浦アイランドプロジェクト、センター南プロジェクトで展開しています。 ――センター南プロジェクトでは、グッドタイム リビングも併設されているんですね? 森川:1棟の建物の上層階にはプラテシア、下層階にはグッドタイム リビングが併設されています。私どもは、身体の状態が変わっても暮らしの質は変えてはいけないと考えているので、住宅のデザインは同質で連続性があり、入居者の尊厳を守るというサービスの理念は一貫しています。スペシャルケアフロアで認知症対策も――プラテシアに住んで介護が必要になったらグッドタイム リビングに移ると考えればいいんですか? 森川:移り住みはもちろん可能で、配偶者の方が亡くなられた場合などに、共用のリビングもあるグッドタイム リビングへの移り住みをご提案させていただくことはあります。しかし、最終的にどこを選ぶかはゲストご本人とご家族に選択していただいています。 ――実際は、どのぐらいの方がグッドタイム リビングに移られているんですか? 森川:グッドタイム リビング 芝浦アイランドもプラテシア 芝浦アイランドを併設していますが、芝浦アイランドの場合、ほとんどの方が移り住まず、プラテシア 芝浦アイランドで最期を迎えられます。 ――特に認知症対策などはされているのでしょうか? 森川:グッドタイム リビング 長津田みなみ台には、8人ユニットのスペシャルケアフロアを設け、認知症の方などの見守りと症状緩和のため、専任スタッフが24時間常駐し、専用の庭やバスルームの配備など環境を整えています。介護ロボットや住宅設備の開発にも積極的に取り組む――ロボット介護機器の開発を進めているということですが、どういう狙いからでしょうか? 森川:介護される方は、本当に人の手で介護されたいと思っているのでしょうか。当社のアンケートでもロボットによる介護は“気を使わないから”と7割超が受け入れると回答しています。 一般的な老人ホームの営業ツールには「手厚い介護」と判を押したように書かれ、人員配置が3対1以上では見守りが薄いとかいうんですが、それを機器が補ってくれたらその方が快適かもしれません。例えば、トイレで用を足すのに介助してもらいたいかと聞くと、皆さん「いやいや私はそうなりませんから」とおっしゃいます。でも残念ながらそうならないとは限らないのです。 ――確かに排泄介助は、介助される側もする側も大変ですね。 森川:そうですね。それがつらいからオムツにしてしまうということもあるでしょう。車イスの場合、排泄介助のとき一番つらいのは、ベッドから車イス、車イスから便器という移乗動作ですので、それが人の手を借りずひとりでできるようになる機器をいまつくろうとしています。 ――介護する側の人口も減る一方ですからね。 森川:ただ働き手がいなくなるからロボット、機器というように結び付けるのは私はNGだと思っています。介護される方の気持ちを察すると機器の方がいいこともたくさんあると思います。しかし、日本では、高齢者分野の住宅や設備の開発もすごく遅れているんですね。もともと私どもはデベロッパーですので、ロボット介護機器にとどまらず、これなら最期まで安心して住み続けることができる、機能が進化した住宅を開発したいと考えています。介護現場の研究・開発・創造拠点として開設した「オリックス・リビング イノベーションセンター」がその役割を担って行きたいと考えています。Profile森川 悦明 もりかわ えつあき オリックス・リビング株式会社 代表取締役社長 1958年長野県松本市生まれ。日本大学大学院生産工学研究科建築工学専攻の博士前期課程修了。83年三井ホーム入社。89年西洋環境開発に転職。2000年1月オリックス入社。オリックス・リアルエステート(現・オリックス不動産)出向後、05年4月オリックス・リビング設立と同時に現職。高齢者住宅経営者連絡協議会会長。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 大手住宅メーカーとのコラボレーションで、サービス拡充を目指す https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2015/05/19/3632/ Tue, 19 May 2015 10:05:02 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 佐久間代表取締役は銀行出身。同社の前経営者からの事業承継により社長に就任した株式会社ヘルシーサービス 代表取締役 佐久間則行さん 千葉県を中心にグループホームや住宅型有料老人ホーム、小規模多機能ステーション、訪問介護、居宅介護支援など、地域に根ざしたさまざまな介護サービスを展開する株式会社ヘルシーサービスの創業は1985年。介護保険制度が施行される15年前、訪問入浴サービスがスタートだった。以後、順調に事業を拡大するなか、MBOファンドの事業承継を経て、2014年12月には積水化学工業・住宅カンパニーグループの一員に。30年の実績と地域密着の強みを活かしつつ、大手住宅メーカーとのコラボレーションにより新たな方向性を探る佐久間則行代表取締役に展望をうかがった。 事業承継によって新たなステップへヘルシーサービスの原点ともいえる訪問入浴サービス。介護保険スタートの15年前の1985年より行っている──介護保険制度が施行される15年も前から介護事業を手がけているんですね? 佐久間:1962年に家庭奉仕員、今でいうヘルパーさんの派遣事業というのが行政サービスとしてスタートしまして、それが民間へ委託というかたちになったのが1981年。当社がそれを受託をしたのが1985年、当時は2台の訪問入浴車を使っての訪問入浴サービスが主事業でした。そこから介護保険制度の施行までが15年、制度開始からはさらに15年が経過して創業30周年になります。 ──介護事業の業界では老舗になりますね? 佐久間:老舗といっても中小企業ですけどね(笑)。ただ介護事業の世界では、7〜8割のお客様を支えているのは私どものような中小企業です。その反面、コンプライアンスの問題や財務体質も含めて足腰の脆弱な中小の事業者が、今後の介護ビジネスを支えていくのはいささか問題があるだろうという意識もありました。MBOファンドによる事業承継によって、6年前に私は創業者オーナーから代表取締役を引き継いだんですが、新たな資本構成によってより強固な信用構築をすることで、事業のステップアップが少なからず図られたと考えています。 ──そして昨年の暮れには、積水化学工業・住宅カンパニーグループの一員となります。 佐久間:当社が事業を展開している千葉県には約2万7000棟のセキスイハイムにお住まいの方がいらっしゃいます。全国的に見てもこの数字は特に大きいらしいんですね。いっぽう当社は創業以来、千葉県を中心に地域密着の介護サービスを提供してきました。積水化学工業・住宅カンパニーのハードと当社のソフトがうまくコラボレートしてシナジー効果が発揮できれば、さらなる事業の発展が見込めるのではないでしょうか。 入居者自身の意思を徹底的に尊重2012年開設の住宅型有料老人ホーム「くらスマイル鎌ヶ谷」。かつては企業の独身寮だった建物を改装し再利用している──御社の有料老人ホームについてお訪ねします。どういう特徴がありますか? 佐久間:千葉県鎌ヶ谷市に「くらスマイル鎌ヶ谷」、神奈川県平塚市に「くらスマイル平塚」がありますが、どちらも企業の独身寮を改装した建物で、かつては高齢者専用賃貸住宅の範疇でした。旧高専賃を引き継いでいますので、入居時には一時金ではなく敷金のかたちをとっています。中古の建物をリフォームしていますから家賃は安価に抑えられますし、入居時の負担も軽くてすみます。サービスについては、例えば在宅診療の医療法人さんは1カ所だけでなく3〜4カ所に間口を広げていますし、ケアマネジャーさんや訪問介護のヘルパーさんの選択もご本人やご家族の自由です。大体、お医者さんやヘルパーさんはお客様が本当に信頼できる方を選ぶのであって、私どもの都合でそれを指定するというのは筋違いですよね。 ──入居者本人の意思を大事にされているということですね。 佐久間:これはグループホームでの話なんですが先日、入居者さんで外食の牛丼を食べたことがないから食べたいという方がいらして、9人お連れして行ってきました。事前にお店の方に事情を話すと、肉は小さく切った方がいいですかと気づかっていただいて、本当によくしていただけたんですよ。こういうことが地域との密着にもつながっているのではないかと思っています。 今後はサ高住の提供も視野に──今後はどのような事業展開を考えていますか? 佐久間:今後は施設系のサービス数を増やしていかなければならないと考えています。現在、主事業としているグループホームについては、公募なので勝手に建てられないんですね。競合他社さんとの競争があって、そこで選ばれないと実現しないんです。ただ2001年のスタートで、現在15という数のグループホームすべてが公募で選ばれているわけですから、当社の実績がそれなりに評価されているのではないかと自負しております。最終的なプレゼンテーションは必ず大手さんとの競合になっているんですよ。 ──サ高住の開設は考えていないんですか? 佐久間:今後はやっていかなければいけないと思っています。サ高住がスタートした当初は、私としては否定的でした。なぜかというと賃料の引き下げ競争に入りましたでしょ。あれは私はナンセンスだと感じていましたので。先に値段ありきになってしまうとサービスは後回しですよね。それでは私どもは競争ができない。セグメント毎に採算がとれなければ介護報酬が改定のたびに下がっていく状況のなかで、オーナーさんへ支払うサブリース料が支払えなくなってしまいますから。ただここに来てマーケットの中身が少しずつ変わってきました。住まいはこういうグレードでサービスはこういうしっかりした事業者でと、お客様のほうから望まれるようになり、またそうでないとお客様から選ばれないような時代になってきているんです。 ──そこで積水化学工業・住宅カンパニーとのコラボレーションが生きてくるわけですね? 佐久間:先ほどの話に戻りますが、セキスイハイムのハードと当社のソフト、それが両輪のようにというと格好よすぎますが、支え合ってビジネスとして展開していくことが当社の目指すべき方向だと考えています。と同時に、千葉県という地域のなかでの当社ならではの強みもありますから、それをできる限り活かす展開も考えたいと思っております。 Profile株式会社ヘルシーサービス 代表取締役 山形県出身。山形県立米沢興譲館高校卒業。福島大学経済学部卒業。1983年に株式会社山形銀行入行。2002年セントケア株式会社(現セントケア・ホールディング株式会社)入社。2006年社団法人シルバーサービス振興会入社。2009年12月株式会社ヘルシーサービス代表取締役社長に就任 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 高齢者向け住宅の望ましいカタチは あくまでも“自立支援”。建物は木造がベター https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2015/04/03/3166/ Thu, 30 Apr 2015 20:27:13 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 下着ぐらいは自分で洗濯してもらう。できなければそれをサポートする。そんな個人の尊厳を重んじた介護が大切という三浦さん大阪市立大学大学院生活科学研究科教授 三浦研さん 大阪市立大学大学院生活科学研究科の三浦研教授の研究テーマは、高齢者施設を中心とした居住環境の計画理論に関する調査研究とデザイン。サービス付き高齢者向け住宅をはじめグループホームや特別養護老人ホームなどを実際に訪ね、調査研究を行うことで高齢者向け住宅のあるべき姿を模索している。その結果、ハードは木造、サービスは食事と自立支援に重点を置くのが望ましいという三浦教授にインタビューを試みた。 食事は入居者の近くで調理し、メニューにメリハリを利用者の目の前で調理、盛りつけされるので自然に食欲がわいてくる。写真は京都市の「通所介護 自在館嬉楽家」──多くの高齢者向け住宅を実際に調査された三浦先生の目から見て、高齢者向け住宅にいちばん重要なものは何だとお考えですか? 三浦:私自身がいちばん大事だと思っているのは、実は食事なんです。高齢になっていろいろできなくなってくるなかで、何を食べるかって考えるのは生きていくことの根源に関わる大きな問いなんですね。考えるだけじゃなく、自分も食事の準備に少しでも参加したり、あるいはADL(日常生活動作)が落ちて参加できなくても、まわりで調理している音や香りが感じられるといった環境をつくり出すことによって、五感に対する刺激になります。季節感も感じられるでしょう。ですから同じ棟内で調理をすることはとても重要です。それでは人手がかかりすぎるというなら、セントラルキッチンである程度下ごしらえして、最後にフロアの食堂の近くで加熱したり盛り付けたりするという方法もあります。そうしないと職員さんとのコミュニケーションもとても貧しくなりますね。 ──どういう意味でしょうか? 三浦:職員さんがその食事をつくる過程を知ることができないからです。どこで材料を買ったのか、安かったのか高かったのか、新鮮だったのかそうではなかったのか。そういう過程を知らないから、食事を出すときのコミュニケーションが紋切り型になってしまうんです。さらに職員さん本人がその食事を食べなかったら、本当においしいのかどうかもわからない。情報がすべて断たれたところでの会話はとても貧しくなって、その結果、関係性がすごく弱くなってしまうんですね。弱い関係性では入居者さんはハッピーになれませんし、介護する側も手応えが感じられないということになります。 ──食事は味や栄養バランスも重要ですね。 三浦:必ずしも栄養バランスはよくなくても、メリハリがあることが大事です。私たちの食事は、昨日は天丼だったから今日は蕎麦であっさりととか、大きなリズムでバランスをとっていますよね。しかし多くの高齢者向け住宅は、往々にしてコントロールし過ぎてしまっていて波がないんですね。あまりにも完成した食事を出さなきゃいけないという強迫観念にかられてしまっていて、むしろ生活が奪われているんです。皆さん家庭では、今日は贅沢するけどふだんはめざしと味噌汁なんてやっているでしょう。メリハリが必要です。 ──では、どんなかたちの食事が望ましいんでしょうか? 三浦:理想は入居者さんが自分で選べるということでしょうが、それは無理でしょうから、せめて週に何日かは一緒に買い物に行ってみんなでつくるとか変化をつけたいですね。その代わり、ほかの日は思いきり手を抜いてくださいと(笑)。 自立支援の観点からサポートを考える──食事以外にも、高齢者向け住宅において重要と考えられることはありますか? 三浦:実はすごく難しいんですが、自立支援の観点をきちんと持たなければいけないと思っています。例えば、お風呂はいま概ねマンツーマンの個浴で入浴介助されていると思うんですが、職員さんが洗面器とタオルを持って浴室にお連れしている格好ですよね。そうじゃなくて入居者ご本人が洗面器とタオルを持ってお風呂に行くのを、職員さんが後ろからサポートするというのが理想なんです。 ──どうちがうんですか? 三浦:端的にいえばいまの介護の現場は、ひとりひとりに対応しきれず、画一的な介護になってしまって、ご本人ができることを待てない。待てないがゆえに、ご本人が持っている身体能力と実行状況に落差が生じてしまっているんです。ご本人が自分の部屋の浴室、あるいはフロアにある浴室で、見守りがあれば自分の力で服を脱ぎ入浴できるにもかかわらず、決められた時間のなかで行わなければならない状況だと職員さんがつい手を出してしまう。そのほうが効率がいいから。過介護の結果、ご本人のADLが落ちて介護度を重くしてしまっているんです。私どもが調査をした結果では、入居する高齢者向け住宅によってあるいはサービスによって、自分の能力を発揮できている場合とそうではない場合があるということがわかりました。 ──自立支援ではなく、逆に要介護度を重くしてしまうケースもあるということですね? 三浦:いまのわが国の高齢者向け住宅の課題は、入居者さんのADLが落ちたほうが事業者さんにとっては収入が多くなるという、大いなる矛盾があります。自立支援という観点でいえば、介護よりも住宅側に軸足を置いたサ高住や住宅型有料老人ホームは実は期待の星なんです。しかし自立支援が本当にできているかということになると、いろいろ課題がありそうですね。 高齢者向け住宅には木造が望ましい理由──ハード面では、三浦先生は木造が望ましいと書かれていますね。 三浦:厚労省の「国民生活基礎調査」の「介護が必要となった主な原因」を見ると、転倒による骨折が脳血管疾患、認知症、高齢による衰弱、関節疾患に続いて5位(平成22年調査)になっているんです。転倒防止というと、手すりを付けるとか段差をなくすとか低床介護ベッドにするとか、転ばないための方策ばかりだったんですね。それでも完全には転倒を防げないのが実態です。そこで私の研究室では、転んだ際の床の衝撃吸収性に注目してみました。グループホームでの調査なんですが、木造や鉄骨造に比べてRC造のほうが骨折発生率が2〜3割多いという結果が出たんです。木造の場合は、フローリングで一見硬そうに見えますが、その下に根太という床組みがあってちょっとした空間の隙間があるので、太鼓のように衝撃を吸収してくれるんですね。 ──フローリングで木造在来工法の建物がいいというわけですね? 三浦:それは確かにいいと思いますが、最近では衝撃吸収のフローリングもありますし、マンションのような二重床の工法で衝撃吸収性を高めることもできますから、一概にRC造がいけないというわけではありません。ただ現状ではコンクリートにフローリングを直張りした床と、そういうふうに衝撃吸収性を高めた床と見た目は一緒なので、どうしてもコスト削減の対象になりやすいんです。研究結果では、年間の転倒転落が特養では100人当たり2.8回、グループホームだと4.6回と出ました。この1割でも減らせれば、相当効果は大きいと思います。高齢期に骨折すると回復まで時間がかかったり、それを機に寝たきりになるおそれもありますから。 ──畳のスペースも高齢者向け住宅には効果的だと書かれていますが? 三浦:そこはこれからきちんと実証したいと思っているんですが、いいはずだと考えています。人間は高齢期になると重心がどんどん下がってくる。ですから床が安全であるとか温かいというのはとても大切ですし、床まで活用できると視線の自由度がすごく高まるんですね。それに畳スペースは靴を脱いで過ごす床座の場ですから、座ったり寝転がったり姿勢も位置も自由にできる。これが靴を履いて椅子に腰掛ける場となると、姿勢や位置が固定されてしまいやすい。ですから食事が終わって、疲れたから戻ろうという場がベッドになってしまう。 ──ベッドに戻ると寝てしまったり、ボーッとテレビを見ていたり。 三浦:環境が貧しいから居場所がないんです。別に畳である必要はありませんが、床がきれいで温かくて自由な姿勢をとれる多様な居場所が、食堂の近くに用意されることは必要でしょうね。 「木造の高齢者向け住宅の注目したい存在」と三浦教授がいう「シニア向け長屋住宅あさがお邸」(徳島県)。県産材をふんだんに使っているProfile三浦 研 みうら けん 大阪市立大学大学院生活科学研究科教授 工学博士 1970年広島県生まれ。1993年京都大学工学部建築学科卒業、1997年日本学術振興会特別研究員、京都大学大学院工学研究科助手を経て、現職。国土交通省高齢者・障がい者・子育て支援世帯居住安定化モデル事業選定委員会委員を務める。特養、グループホーム、小規模多機能サービス、認知症に配慮した環境計画など、環境行動理論に基づく高齢者施設や住宅の計画・設計・研究に取り組む。著書に『ケアを実践するしかけ』(共著・岩波書店)ほか 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 訪問介護、在宅支援サービス、家事代行……。 多様なサービスで“Aging in Place”を推進 https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2015/03/25/3162/ Wed, 25 Mar 2015 07:35:24 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 「私自身、親にはいつまでも住み慣れたわが家で暮らしてもらいたいですから」と香取社長株式会社 やさしい手 代表取締役社長 香取幹さん 訪問介護や居宅介護支援事業所を中心とした在宅サービス事業を全国に展開する株式会社やさしい手が目指すのは、住み慣れた家で最期まで生きるというエイジング・イン・プレイス(地域居住)のサポート。そのために地域医療との連携はもちろん、介護保険の範囲では覆いきれない生活支援サービスも用意することで、「やさしい手モデル」の地域包括ケアシステムをつくり上げている。さらに同社が、地域包括ケアシステムを支える大きな柱としているのが定期巡回・随時対応型訪問介護看護だ。業界でもなかなか難しいとされているサービスだが、同社の香取幹代表取締役社長はこれにも積極的に取り組むと語る。 多彩な在宅サービスで住み慣れた家にやさしい手では、多くの訪問介護ステーションで24時間の訪問介護、看護に取り組んでいる ──御社の事業は、高齢者向け住宅の提供を中心とするのではなく、在宅サービスに重きをおいているんですね? 香取:高齢になっても、今までずっと住み続けていたご自宅で最期まで暮らしたいという方がほとんどなんですね。逆に申しますと介護施設に入居される方は、ほとんどがご自分の意思で入居されていないということなんです。当社の存在意義はこの、住み慣れた地域で、その人らしく最期までというエイジング・イン・プレイスをサポートすることだと考えておりますので、ご自宅への訪問介護を中心とした在宅サービスに力を入れているわけです。 ──在宅サービスにはほかにどんなものがありますか? 香取:ケアマネジャーがケアプランを作成する居宅介護支援サービス、自宅の浴槽では入浴が困難になった方には訪問入浴、デイサービスやショートステイ、福祉用具レンタル販売サービス、リフォームサービスなども提供しております。さらに介護と看護が連携しながら、1日複数回定期的な訪問と通報により随時の対応を行う定期巡回・随時対応型訪問介護看護というサービスも行っております。 ──定期巡回・随時対応型訪問介護看護はなかなか採算が取れなくて難しいという話を聞きますが? 香取:そうですね。なかなか難しい仕事ではありますが、私どもではこの定期巡回・随時対応型訪問介護看護を導入することにより、認知症高齢者の方の在宅生活が継続可能になったという事例もありますし、国が推進する地域包括ケアを支える大きな柱になると考えておりますので今後も積極的に取り組んでいきたいと考えています。採算の面に関しましても、ご利用者の数が多くサービスの提供価値をご理解していただけるエリアにおいては黒字化も進んでおりますし、規模の経済のなかでなんとか採算をとっていくという方向で進めています。統合ケアマネジメントでエイジング・イン・プレイスを実現──そういったさまざまな在宅サービスを組み合わせることで、エイジング・イン・プレイスを実現しようと考えているわけですね? 香取:そうですね。当然ですが、専門的な医療や看護との連携も非常に重要です。ですから当社では、地域地域の医療法人や訪問看護ステーションともしっかりと連携をとってサポートを進めています。ただ、こうした社会保障制度のなかでの介護や医療は、生存に関わるところしか面倒をみてくれません。例えばご高齢者の愚痴を聞いたり生活費の管理をしたりする、心や生活の支援は別なんですね。ですから当社では、在宅生活支援というサービスを設け、ソーシャルワーカー(社会福祉士)がご自宅にうかがってご相談を承ったり、生活の見守りなどを行っています。 ──それには介護保険は使えないわけですね? 香取:私費になります。毎月1回5000円で、概ね1時間ぐらいのご相談ですね。そういった記録はすべて電子介護カルテに記録されて、パソコンや携帯電話などでご家族もご覧になることができるようになっています。 ──私費のサービスを利用される方は多いんですか? 香取:増えていますね。介護保険の在宅介護、医療保険の在宅医療とこの私費の在宅生活支援サービスの3つを統合して、統合ケアマネジメントといっていますが、この統合ケアマネジメントによってエイジング・イン・プレイス、そして地域包括ケアが実現するということになります。 不動産事業は人に任せてサービス業に邁進同社が運営するサービス付き高齢者向け住宅コーシャハイム千歳烏山(土地建物所有:東京都住宅供給公社、貸主・管理運営:東京建物不動産販売株式会社) ──御社はサービス付き高齢者向け住宅の運営もされていますが、あくまでも運営に限っての高齢者住宅事業なんですね? 香取:自社で建てる、建物を所有するというのは全くないですね。例えば東京都住宅供給公社さん、東京建物さん、大和ハウス工業さん等がホルダーさんで、私どもはその一角に入居させていただいて介護サービスをご提供するというかたちです。人のうちの軒先を借りてビジネスをする、ヤドカリ君ですね(笑)。 ──自社で不動産を所有しないというのは何か理由があるんですか? 香取:私どもはサービス業ですので、何か資産を所有すると銀行さんなどからはリスクとして評価されてしまうということがあります。それに不動産事業、賃貸事業が主流になってしまうと、本業のサービス業が疎かにもなりかねません。賃貸事業と介護事業は分離し、私どもはサービス業に徹するという分業制をとったほうが合理的なんですね。さらにサ高住のお客様より地域のお客様のほうが圧倒的に多数ですので、実は地域全体のサービスをさせていただくその余力でサ高住のお客様のサービスをさせていただいているという状態なんです。 ──不動産業は建物が資産になりますけど、御社の場合は人が財産ですね? 香取:女性が7男性が3という割合で社内結婚率が非常に高いんです。男性にとっては天国みたいでしょ(笑)。もうひとつ当社の特徴は、女性の産休のあとの復職率が95%と高いんです。ほとんどの女性が復帰されて専門性の高い業務に就いています。ちょっと前までは、職人的なスキルが必要とされる仕事でしたのでなかなか難しかったんですが、今は情報システムによってお客様の情報が一括管理されていますので、いったん職場を離れてもあるいは時短で帰っても、そういう仕事が継続してできるようになったんですね。今後はリタイアされた方も含めて、雇用形態を多彩に組み合わせていきたいと考えています。 Profile香取 幹 かとり かん 株式会社 やさしい手 代表取締役社長 1968年東京都生まれ。1994年千葉大学工学部卒業。株式会社ビー エフを経て、1998年に在宅介護サービス会社「株式会社やさしい手」入社。2006年同社代表取締役社長に就任。 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]> 多彩な形態の住まいを運営し、利用者のニーズに応える https://kaigo.suumo.jp/article/detail/2015/02/16/2732/ Mon, 16 Feb 2015 02:05:20 +0000 インタビュー publish SUUMO介護編集部 「高齢になっても好きなところで、好きなように暮らせる社会でないと」と浦田社長株式会社 生活科学運営 代表取締役社長 浦田慶信さん 自立型の「ライフハウス」、介護型の「シニアハウス」、自立・介護併設の「ライフ&シニアハウス」、必要に応じてサービスを選べる「つどいの家」など多様な高齢者向け住宅を運営する株式会社生活科学運営の企業理念は、これらのハウスを拠点とし、人と人がふれ合う地域コミュニティの創造を目指すこと。そのため地域をよく知るさまざまな団体や組織と連携、協働し事業を展開している。そこで地域の課題に共感する組織や団体がお互いの役割を尊重し合い、地域に高齢者向け住宅の幅広い選択肢を提供していくことがキーワードという浦田慶信代表取締役社長にお話をうかがった。 多様な選択肢とコラボで地域コミュニティを創造──ライフハウス、シニアハウス、つどいの家のブランドで、住宅型および介護付有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅、グループホームなどさまざまなカテゴリーの高齢者向け住宅を運営されていますが、どうしてでしょうか? 浦田:ふつう有料老人ホームを選択したら有料老人ホームだけを集中的に経営しますよね。そのスキルを磨いていって尖らせていくのが通常の株式会社のありようだから。私も入社当初はそう思っていました。ところがいろいろな医療法人だとか社会福祉法人に見学に行くと、実にいろいろなことをやっているんです。有料老人ホームもやりデイサービスもやり、居宅も特養までもと。なぜなのか最初は疑問だったんですが、ひとつに特化すると制度を守りにいってしまうんですね。それは地域コミュニティを創造するといっている会社のやることではないと思ったんです。 ──制度を守りにいくというのはどういうことでしょうか? 浦田:例えば高齢者向け住宅の業界団体というのはいろいろあるんですが、どうしても自分が依って立っている制度を守る団体になってしまうんです。つまり利用者がお客様ではなく、補助金や介護保険の点数をお客様にしている。しかし、業界団体というのはそうではなくて、多様なありようを認める団体であるべきではないか。そんな思いから私どもは、さまざまな選択肢を提供しようと考えるようになりました。もちろん利用者のニーズに合わせようとするなら、いろいろなことをやったほうがいいのは決まっていますからね。 ──それが地域コミュニティの創造につながるというわけですね? 浦田:私どものロゴマークそのものが子ども、女性、高齢者を表しているように、すべての世代がなんらかのかたちで関わることで、地域を活性化したり支えたりできればいいのではないかと考えています。 ──生協やUR、地域のワーカーズコレクティブなど、いろいろな団体や組織とのコラボレーションもその一環ですか? 浦田:無節操なコラボともいわれていますが(笑)。しかし、例えばいっぽうで金融と手をつなぎ、もういっぽうでコミュニティビジネスの最たるもののワーカーズコレクティブと手をつなぐというのは、意見がまとまらなくて面倒という考え方もあるけれど、いってみれば社外役員がいるようなもので、「あるべき姿」を見失わないというメリットがある。人や組織がもつ多様な価値観と個性を認め合いながら、ともに地域コミュニティをつくりあげるという当社の理念にも沿っているし、それによっていい効果が出ているんです。2002年開設。地域社会にも溶け込んだ住宅型有料老人ホームのライフハウス友だち村ライフハウスとシニアハウスがある意味──ライフハウスは自立の方、シニアハウスは要介護の方というのが入居条件ですか? 浦田:ライフハウスの場合、正確には私どもが介護保険のサービスを提供しない方というのが定義なんです。ですからほかからサービスの提供を受けてライフハウスに住まわれている方もいらっしゃいます。要介護2ぐらいまでは、実際にいらっしゃいますね。ご夫婦であれば片方が要介護5という方もいらっしゃいます。逆に介護度とは関係なく、集団のなかでは生活できにくい方、認知症の方とか何かあると医師の助けが必要な方、目が離せない方などは要介護のほうに移ったほうが安心感が得られます。 ──それがシニアハウスですね? 浦田:ええ。シニアハウスはシェアハウスのような運営をしていますから、廊下も含めて全部が家のなかでそこに自分の部屋があるというかたちですね。 ──ライフハウスからシニアハウスへ移られる方は多いのですか? 浦田:年間40人ぐらいでそんなに多くはないですね。自立で入居された方でシニアハウスに移られる方は約1割ほどです。目指せピンピンコロリなどとおっしゃって、全体の3分の2の方が自立居室に入居されますし、まさにそれに近いかたちで最期を迎える方が多いですね。 ──それは入居者にとっても望ましいことですね? 浦田:そうですね。特に在宅の方はそうなんですけど、皆さんやたらにレアケースの心配をして、どういうふうに死ぬかばかり気にかけていらっしゃる。それよりどういうふうに最期まで生きるかを考えたほうがいいと思うんです。生きている現在を充実させるために私どももサポートしているわけですから。 ライフハウスとシニアハウスがひとつになったライフ&シニアハウス日暮里。多世代の賃貸住宅も併設。食堂の調理はワーカーズコレクティブが担当している多様な選択肢の提供で地域包括ケアを目指す──今後はどういう方向に力を入れていきたいとお考えですか? 浦田:繰り返しになりますが、地域にいろいろな選択肢をつくるのがわれわれの役目であり、それが生活科学運営の考える地域包括ケアだと思っています。 ──定期巡回・随時対応型訪問介護看護をすすめようという事業者さんも増えていますが? 浦田:当社でも検討はしました。でもそれはやめて小規模多機能型居宅介護を選んだんです。なぜかというと訪問介護の延長である定期巡回・随時対応型訪問介護看護と、デイサービスが中心で必要なときに訪問するという小規模多機能を比べたとき、私は小規模多機能のほうがサービスの密度が濃いと思いましたので。 ──では小規模多機能に力を入れていかれるのでしょうか? 浦田:それだけではないですね。長いスパンで見たら有料老人ホーム、特定施設というのは地域にひとつあればいいと思っているんです。ひとつつくったらその半径何キロにはもういらない。ですが、そこにすごく軽いサービスのある本来の意味のサービス付き高齢者向け住宅があって、さらに家はちゃんとあるからいざというときにという人には小規模多機能があり、認知症の方のためには最もコストのかからないグループホームがありというエリアができればいいと考えているんです。小規模多機能にも力を入れていきますが、あくまでも選択肢のひとつということです。 ──高齢者向け住宅の事業というのは、これからどうなるべきだと思われますか? 浦田:私がしっくりくるのは、住まいは住まい、サービスはサービスという考え方。外付けサービス的な感覚のほうが親和性を感じているんです。当社のライフハウスは当社で介護保険サービスを提供しませんので、自分の好きなものが選べます。もちろん紹介はしますけどね。そうすると介護付有料老人ホームはどうなんだといわれるんですが、家を買ってもらっているんじゃなくて、特定施設入居者生活介護というサービスを買ってもらうと家がないことには提供できないから家が付いてくるという感覚で、順番が違うんですよ。やはり住まいとサービスは分離したほうがベターですね。 Profile浦田 慶信 うらた よしのぶ 株式会社 生活科学運営 代表取締役社長 1957年東京都生まれ。成城大学経済学部経営学科卒業。2002年1月生活科学運営入社。4月より営業部部長。2003年4月から開設準備部、2003年12月より「ライフ&シニアハウス港北2」ハウス長。その後、運営本部および開設準備部の部長を兼務。2005年4月企画開発部部長(ハウス長解任)、取締役就任。2007年7月常務取締役に就任。2010年6月代表取締役社長に就任。高齢者住宅経営者連絡協議会幹事、もうひとつの住まい方推進協議会幹事、ユニバーサル志縁社会創造センター常務理事 介護に関するコラムをもっと読む SUUMO介護]]>