「すべてをさらけ出す介護は楽しかった」。介護講談の田辺鶴瑛さん、義父の介護を語る

取材・文/小宮山悦子 撮影/一井りょう
2016年12月07日(水)
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女流講談師・田辺鶴瑛さんが、実体験をもとに創作した介護講談が話題を集めています。6年間にわたって介護した認知症の義父とのエピソードに爆笑したり、ほろりとなったり……。つらかった介護がいつしか楽しくなったという鶴瑛さんに、その経験を語ってもらいました。

認知症で寝たきりの義父を引き取り3度目の介護

――そもそも、講談師になったきっかけを教えてください。
小さいころから何か表現する人になりたくて、芝居やら陶芸やらいろいろやりました。劇団をやめて結婚し、子育てをしているときに義母の介護が重なり、ストレスから娘にあたってしまったんです。これは自分のエネルギーを娘以外に向けないとダメになると思い、何かないかと探していたときに出会ったのが、師匠である田辺一鶴の講談教室でした。やってみるとものすごくストレス解消になる。これだ!と思って、弟子入りを決めました。


――オリジナルの介護講談はいつから始めたのですか?
講談師は、二つ目に昇進すると自分で仕事を探さないといけません。営業先でたまたま北欧の介護のビデオを見る機会があり、「日本もこんなだったら、私も母と義母の介護を楽しくできたのに」と話すと、「あなたの介護の経験を講談にしてください」と依頼されたんです。

やってみると、「よくぞ介護の大変さを伝えてくれた」と言ってくれる人がいる一方で、「こんな暗い話は聞きたくない」という声もあり、最初は不評でした。悩んでいるときにある人が、介護される側やそこに携わる医師や看護師の話を入れたらとアドバイスしてくれ、評判のいい介護施設を片っ端から見学に行くうちに、だんだんと引き出しが増えていきました。


――お義父さんの介護が始まったのはその後ですか?
ちょうどそのころです。おじいちゃん(義父)とは元々関係がよくありませんでした。自慢話ばかりしている人で、家族はろくに返事もしませんでしたから寂しくなったんでしょう。高齢者のお見合いの会に入り、出会った女性と家を出て行きました。それが10年後に認知症になって、同居する女性から毎晩苦情の電話がかかってくるようになったんです。真面目な夫が何時間も謝っているのを見ていたたまれなくなりました。

当時、私は介護講談であちこちに呼ばれるようになっていて、仕事にやりがいを感じていました。私を自由にさせてくれる夫のおかげです。あのおじいちゃんがいなければ夫とも出会えなかったのだから、何かしてあげよう。介護だったら2度の経験があるからできるだろう。今度こそ感謝の介護ができるかもしれないと思ったんです。それで2005年1月、脳梗塞で倒れたおじいちゃんを家に連れて帰り、3度目の介護が始まりました。

自分をさらけ出したら介護がラクになりました

――在宅で介護することにしたのですね?
根拠もなく1年ぐらいと思っていたので、在宅で看取りまでするつもりでした。準備のためにとりあえず検査入院をさせようとしたんですが……おじいちゃんは「ここはどこだ?」「やぶ医者じゃないか!」「助けてくれ!」と大声で繰り返し、病院に断られてしまいました。それでまず、向こう三軒両隣に「おじいちゃんが認知症になりました。在宅介護しますからよろしく」とあいさつに行きました。「嫁は泥棒だー!」「警察を呼べー!」とか叫びますが、私がいじめているわけではありませんと(笑)。

私はいい嫁と思われたくて、おじいちゃんと襖(ふすま)ひとつ隔てた隣の部屋に寝ることにしました。すると夜中に30分おきに、「助けてくれー!」「水を飲ませろー!」と大騒ぎして起こされるのです。ある夜、「なんでサッサと起きてこないんだ、このバカ!」と言われ、思わずカーッとなって持っていた手拭いで、認知症で寝たきりの義父を叩いてしまったんです。自分が本当に情けなくて……よく相談しているお坊さんに話すと、「誰だってあなたと同じ立場だったら手ぐらい上げるよ」と言われてすごくラクになりましたね。

それからは「バカ!」と言われたら手は出さずに、「バカに介護されているあんたは大バカだー!」と言い返すことしました。相手は弱者だから、介護するほうはいつも優しく親切にと言っても、それはムリです。一生懸命やってもどうにもならなくて腹が立ったら、「うるさい」「バカヤロー」「死んじまえ」ぐらい言っちゃっていいですよ。その代わり反省して「ごめんなさい、言い過ぎました」と謝ればいいんじゃないでしょうか。


――自分をさらけ出すようになって変わりましたか?
すごくラクになりました。最初はいい介護をしようと苦手な料理も頑張っていましたが、せっかくつくった食事がまずいだの、骨があるだのと言われると悔しくて……。だから無理して料理をするのはやめて、おじいちゃんの好きなものを食べてもらうことにしました。大好きなウナギを軟らかく煮て、お粥にのせてタレをたっぷりつけて食べさせると、「おいしいなあ。何ちゅう食べ物だ?」って、認知症だから毎食同じものでも喜んでくれるんです。私は苦手なことをやめて、その代わりにおじいちゃんとの会話を楽しむようにしました。会話といってもいつも同じですが、おじいちゃんは毎日上機嫌でしたね。

でも夜中に起こされるのはやっぱりつらくて……。「かゆい、かいてくれ」と呼ばれたときに、「歌を歌ってくれたらかいてあげるけど、どうする?」と聞いてみると、おじいちゃんは「分かったよ」と歌ってくれるんです。ときには「♪じいちゃんは今生きている~生きているからかゆいんだ~死んだらどうなる?」と歌いながら聞くと、おじいちゃんは「死んだらお陀仏だ」と返す(笑)。3年ぐらいしてやっとそういう会話が出てきました。

5年ぐらいたったころ、夜中に「誰でもいいからかいてくれ」と起こされたときに、ふっとひらめいて洗濯ネットをかぶってみたんです。すると、「誰だ、お前は? 名を名乗れ。もういいからあっちへ行け」と。おじいちゃんは気持ち悪かったと思いますが、私はがぜんおもしろくなってしまいました。次は馬のかぶり物を買ってきて、「かいてくれ」とお呼びがかかったときにかぶっていくと、「なんだ馬か。馬にはかけんわな」と言うんです(笑)。すっかり夜中に起こされるのが楽しみになって、つらいと思っていた介護がガラッと変わりましたね。

嫌いだった義父がいつしか可愛くなっていました

――在宅介護にはご家族の協力も不可欠だったのではないでしょうか?
娘や夫もよく協力してくれました。「今日はこんなことを言っていたよ」と愉快なやり取りを話すと夫も大笑いで、おじいちゃんの話が家族の癒やしになっていました。

普通ならタブーの言葉もポンポン使っていました。食事のときに脇に手を入れて体を起こすと「どこへ連れて行く?」と聞くので、「あの世」と言うと、おじいちゃんは「まだ行かない」と即答です(笑)。介護中に「あの世」とか「お陀仏」とか言うとスッキリするんです。本音を言えるから。本音を隠して「お義父さまにはいつまでも長生きしてもらいたいわ」なんて言っていたらうつになりますよ。

近所から「ご不要になったテレビ、壊れた冷蔵庫がありましたら、無料にてお引き取りします」というアナウンスが聞こえてくると、娘と「壊れたおじいちゃん、ただで持っていくかね?」と話して笑っていました。おそらく数十年後には、娘に「壊れたおばあちゃん」と言われて一緒に笑うんじゃないでしょうか。


――ご自宅での看取りはどんな様子だったのでしょう?
介護を始めて6年、2011年の10月ごろから便のコントロールができなくなり、12月には食べる飲むができなくなって、今思えばいよいよ看取りの時期だったんですね。ところが私はおじいちゃんのことがすっかり可愛くなっていて、オムツを替えただけで「お前は天使だよ」と言ってくれるし、講談のネタになるし、馬をかぶると面白いし、これは死なせてはいけないと検査入院をしてもらいました。
でも、娘に「もう十分でしょ」と言われて気が付きました。こんなヘンテコな私の介護に付き合ってくれてありがとう。おじいちゃんに会えてよかったよと伝えなければと思い、家に連れて帰りました。家族みんなでそばに付き添い、3週間目に、おじいちゃんは静かに息を引き取りました。私たちは「フレー、フレー、じいちゃん! しっかりあの世に行くんだよ」とバンザイをして、おじいちゃんの十八番だった早稲田の校歌を歌って見送りました。

映画を見て、こんな介護もあると知ってほしい

高座で語る鶴瑛さん。お義父さんとのエピソードに客席から笑いが起きる(写真提供/田辺鶴瑛 撮影/ヤナガワゴーッ! )

――介護講談にはお義父さんとのやり取りも盛り込まれています。反応はいかがですか?

呼ばれた先でおじいちゃんの話をしたら、今までにないぐらい受けて、お客さんの反応がまるで違いました。きっと、おじいちゃんのキャラクターがよかったんでしょう。私が自分をさらけ出しても、寝たきりで逃げようがないから、全部受け止めてくれました。すべてをさらけ出す介護ができて楽しかったです。

――そんな鶴瑛さんの高座姿が映画になりました。誰に見てもらいたいですか?

介護の経験のない若い人にもぜひ見てもらいたいです。“介護”とつくだけで暗いイメージがあって聞きたくない人もいるでしょうが、そういう人でも私の講談を聞けば、「こういう介護だったらやってみてもいいな」と思えるかもしれません。介護と認知症の理解の一助に、また常識破りの私の介護がひとつの参考になればうれしいですね。

<取材協力>

田辺鶴瑛(たなべ かくえい)

1955年北海道函館市生まれ。講談師。19歳のときに母、30代で義母、そして50代で義父の介護を経験。自身の経験を盛り込んだオリジナルの介護講談を各地で披露している。2016年に完成した映画「田辺鶴瑛の『介護講談』」(荻久保則男監督)には、娘の田辺銀治との高座シーンや、6年にわたる義父の介護の様子も収録されている。

取材・文/小宮山悦子 撮影/一井りょう
2016年12月07日(水)
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